2008年04月29日

死刑というもの

今朝、寝床の中からテレビ朝日の番組を見ていた。

すると、ある死刑囚の最後の72時間という音声テープを報道していた。
意図は、数ある死刑執行の一つの例として死刑を考える材料として欲しい、という様なものだった。

テープの内容は、深く悔いているらしい死刑囚がお姉さんとの涙ながらの最後の面談、執行部屋に至る道で他の死刑囚から送られる様子(励ましや歌)、死刑囚に対する温情あふれる刑務官の様子。

等であった。


それを見た上で、いわゆるコメンテータのコメント、というか、死刑存続論者(大沢弁護士)と死刑撤廃論者(作家:若一光司)が考えを述べていたが・・・


なんか、若一光司の言っている事は机上の空論?、なんて言ったら良いのか、物分りの良さをアッピールするためのポーズという匂いがしてたまらなかった。

まぁ、そもそも私の考えと相反する意見をお持ちの方だから、反発を感じるのは当たりまえなのだが、それでもつっこみどころ満載と言うか。


曰く、
「憲法第三十六条によって、公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずるとされている。死刑とういうのは残虐な刑罰でしょう。それをやっているという事は憲法違反だ」
と仰りたいらしい。


違うんでないの?


上記が言いたいのは、同じ音でも私刑、リンチを加えるな、って事でしょ?
今の言葉で言うなら、刑務官(公務員)の立場を利用して、パワハラ、セクハラ、過度な体罰を行うなって事でしょ?


法律で存在する「死刑」があり、裁判で決められた「死刑」を実行するだけの人間に向かって、その人間が公務員でそもそも憲法違反だから、死刑は間違ってるってのは、なんか言っている事をこねくり回しているだけのように思えるなぁ。

それに、死刑が残虐、と言っていたが、殺された側の状況は?
残虐でないと言うのだろうか?
後ろから刺されたりして即死で、何が起こっているか分からずにあっと言う間に殺されたのならまだ救いはあるが(ほんとはないですよ)、殺された側の苦痛、恐怖、絶望感というものは、どんなころされ方をされようとも筆舌に尽くせないものだと思うけど。
どちらが悪い事をしたのか分からない事を言うなぁ。


又、死刑と有期刑(無期懲役)の間がありすぎる。終身刑というものを考えては、という提案が有る。
等も言っていた。



大沢弁護士が言っていた内容の方が、断然頷ける内容だったなぁ。

・ある国の刑罰というのは、その国の民族の文化、歴史からきている。
日本人のメンタリティには、命を持って償う、という意識がある。
・ある事をしたら、それに見合った償いをする、という考えが日本にはある。
悪い事をしたら、こうですよ、という教育を子供にしているじゃないですか。
・教育刑(葉山猫:刑務所内教育、更正施設の事だと思う)と言うものは、服役囚に希望(葉山猫:社会に出てこれる刑罰の場合という意味か)が持てる場合に行うのだ。
教育をして、改心し、社会に復帰でき、貢献できそうだと思うから行うのであって、終身刑の囚人にそれを行うのが適当なのか。
・又、一生飼い殺しで生きろと言う方が、却って残酷な気がする。


双方、他にもいろいろ言っていたが・・・





流されたテープ内容に関しては、
これは、非常に後悔、改心した死刑囚なのだろう
最後も静かに亡くなった様子だし。
(そうでない死刑囚もいるという注釈を司会者も言っていた。)

つくづくと、己が行った事が分かったからこそ、死刑、という自分の命を奪われる行いを(表面的だけとしても)受け入れられたのでは?と私は思う。
(死刑囚の内心に「生きたい」という気持ちがあっても、私はそれを非難するつもりはない。)

この事を、例えば本村さんは言っているのではないだろうか?
胸を張って刑罰を受け入れて欲しい、という発言は?



又、怖れるのは、
この一見(一聞?)感動的な内容のテープを聴く事で、死刑囚に同情を感じたり、死刑囚の縁者に同情するあまり死刑を残酷だと感じたり、また、見送られる時の光景を想像して感動したり、粛々と刑を受ける人間や激励?する囚人に対し、賛辞を与えるのもおかしいと思う。


きつい事を言うが、
この一見感動的なテープの主人公や激励している人間は、「罪」を犯した人間なのだ。
死刑囚が他の軽微な囚人達と同棟?に収監されているとは思えないし(いや、ほんとの建物内の構造は知らないですけどね)。
という事は、送られる方も送る方も、そこにいる理由は、
「人間を少なくとも一人以上、己の都合で殺している」
事で、死刑を言い渡された人間なんだよね。
明日は我が身の人間が歌っているんだよね。(多分)

それを放り出して、こんなに後悔しているのにかわいそう、とか、お姉さんかわいそう、とか、野太い声が合唱する送る歌を聞いて、「なんか、いいじゃん!」とか思うのはもっての外!
なんだよね。


罪を犯した人間が後悔、更正した話は感動的だが、だが、殺された人間はどうなる?
心のよりどころの人間を奪われた残された人間はどうなる?



死刑撤廃論者が良く言う、冤罪が怖い、は、それこそ、裁判で充分に論議する、というか、「犯した犯罪(殺人。一人でも。)そのものは認めていて、残るは刑罰を決めるだけ」って人間だけに死刑を適用するどうかを論議すればいいんでは?
とか思っちゃうのは、ダメなのかなぁ。
もしくは、絞首刑じゃない処刑方法を検討するとか。



この間の8人殺傷事件、とか、
飲酒運転の常習者で事故時、事故後も反省してない人間とか、
刑務所に入りたかった、から、人を殺した、とか、
誰でもいいから人間を殺してみたかった、だとか、
女子高生を何日も監禁してむちゃくちゃ残酷な事して殺した(コンクリート詰殺人事件だったけか?)少年少女達とか、
気に喰わなかった、金が欲しかったとかの理由で、殴ったり生きているのに火をつけたりとかで、何人をも大勢で寄ってたかって殺した少年少女達とか、
阿呆な妄想で小学生を殺した奴、だとか、
親父狩りだとか、ホームレスは害虫だとかで、暴力ふるったら死んじゃったと言った普通の高校生、だとか。



そういう人間は、後で後悔して社会に貢献できる可能性が仮に見えても死刑でいいよ。
命には命。

という私は鬼女か。


生きていれば、もしかしたらむちゃくちゃ後悔して社会に貢献するように生きるかもしれない、なんてのは、どんな人間でも否定はできない。「可能性」はあるんだよ。
「絶対にない!」
とは断言できない。

でも、そんな事言ってどうなるの?
不満を持ってたり、親から暴力受けたり、親がいなくて寂しい思いをしたり、親がどうしょうもなくて正しい生き方を教えてもらわなかったり、なんて人間が全員殺人犯になってるの?
なってないじゃないか。


一つにはさ
例えば、すごく真っ当な親がいて、その親がどんなに口をすっぱくして注意をしても、真摯に向き合って更正させようとしても、DNAかなんか知らないが、非行に走り、人間を殺した奴が、PTSDもなく、犯行時責任能力がありましたって理由で、重罪(有期刑でも死刑でも)で、

親がろくに面倒見てませんでした、確かに親から真っ当な教育も受けてないのでもう己が為す事柄に善悪の区別がつきません。
もしくは生い立ちのせいで心が弱くなり、他の人だったら我慢できる事が我慢できずに犯行に及びました。
でも、そういった事情で犯行時責任能力がなかったので、もしくは善悪の区別がつかなかったので重罪には処しません。

ってのが、今の様子でしょう?

おかしいんじゃない?

前者も後者も出来上がった感性とか、性質とかもう中々変えられないよ?

であれば、特に後者なんか、短期で社会に出てきたら、又些細な理由で人を恨んだり、自分が楽になろうとして、何かする可能性の方が、前記の更正して社会に貢献できる可能性よりダントツに高いと思うけどなぁ。
病院入っていても、こういうモノ(質)が修正されたかどうかなんて、医者だろうがなんだろうが見極めつくのか?
まぁ、ここら辺が難しいところなんだろうけど。


前に複数の女性を襲ったレイプ犯を特定する証言をした女性が、出所した犯人に逆恨みされて殺された事件があったよね?
あの犯人の刑罰は何を宣告されたのだろう。



どうしても私には、いくら改善の余地がある、後悔の情が見られると言っても、したことはしたことで、年齢がなんであろうと責任能力があろうがなかろうが(※)償わせるのが真っ当な社会だと思うけどなぁ。
無論、犯罪抑止も兼ねて。
(「俺ら未成年者だもん」とかのたまう、小面憎い輩がいるからね)

まぁ、これが日本の風土、歴史、文化から来るメンタリティなのかどうか知らんが。(多分そうなのかも)



最後に、女性司会者が終身刑の話題が出た時に、
「それはそれで税金で養っていいものか、という議論もありますね」
とか言った事が印象に残った。
あぁ、私と同じ事を感じてる、私より声が大きい人がいるんだ、良かったと。





例えば、無理やり酒や薬を飲まされて操られて殺してしまったりとか、オ○ム事件の一例のように、お前が殺さなければお前を殺す、とか脅されたり等の場合は、死刑とか刑罰を与えるというのは議論の余地が有るが。
だからこその裁判だと思う。
だからこそ、弁護士の責任は重いのだよ。
公正な状況を被告の代わりに訴える、と言うのは。
それができてこそ、社会から尊敬されるのだと思う。

本村さんが言った、「裁判の内容が違ったものだったら、死刑は回避できたかも知れない」というのは、こういった事を指しているのだと思う。
だからと言って、死刑という刑をなくせ、とは思ってないけどね、私は。
(想像だが、真摯な弁護内容で被告人が自分の犯した殺人にきっちり向き合った内容だったら、その結果死刑という刑でなかったとしても、本村さんは自分の中の復讐心(敢えて言うけど)と折り合いをつけたと思う。彼は溢れるほどの情を持った公正な人だという印象を受けるから。)


どっかの○カが「なめないでいただきたい」とか言っていたが、それこそ、真っ当に生活している多くの人間をなめないでいただきたい、と言いたい。

多くの(その文化に属している)人間が、「それはおかしいだろう」と思う感性の方を大事にしないと、社会にひずみが出てくる。

既に出てきているだろう?
posted by 葉山猫 at 13:28| ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

感服

たった今、光市母子殺人事件の判決が出て、ご主人の本村さんの会見が報道された。


本村さんに対してなんというか、見事だ!という言葉しか思いつかない。

見事、という言葉は不適切なのかも知れないけど、
対処の仕方、モノの考え方というか、報道陣に対する受け答えの仕方、その内容、うーん、すごい、と唸るしかない。



で、報道を聞いていて3つほど、思った事を簡単に。


1つめ
報道陣が次々と社名と氏名を名乗り質問したのだが、テレビ報道の最後の方で女性の記者が質問した。

記者:「死刑のハードルが下がった事に関し、云々」
本村さん:「死刑のハードルが下がった、と考える事自体が間違いです。(この後、記者の質問に対し答える)」



記者が、「死刑のハードルが下がった」という発言をした瞬間に、私も

はぁ?
死刑の「ハードルが下がった」ぁ?

と思わず突っ込んでしまった。


この記者(社名を覚えてない(泣))、何を傍聴していたのだろう。
今までの裁判の経緯、事件に関しての報道を見聞きしていて、どこがハードルが下がった、と思ったのか。

これほど、人一人の死をもって罪を償わす事に関し、全国民が裁判官と言って良いほど、考え意見を言ってきた事件はあるまい。

今までの判例を慣例として、
人を4人(だっけ?)殺したら死刑、それ以下は無期懲役、
今回は2人しか殺してないのに死刑

という事を指して発言したのだろうが、
「ハードルが下がった」
という表現、認識の仕方は違ってるだろう!
と思う。

これほど皆が真剣に考え、意見を言ってきた事件はないと思うよ。

なんだかなぁ。

まぁ、しっかりと本村さんが、この記者の考え違いを理路整然と指摘していたから良かったが。

不慮の事故や事件で命を奪われた家族に事件直後に

「今のお気持ちは?」

とかマイクを向ける大○カ記者と同じで、これほど注目されている事件なのだからもっと賢い人間を派遣しろよ、と呟いている。



2つめ
まったく知らなかった事があった。
不勉強の極み。

優先傍聴権


本村さんが、この9年に関して質問を受けた時に言ったのだが、この9年の間に施行された権利らしい。

本村さん曰く

「以前でしたら、今日のように傍聴人が4千人も集まると、遺族は傍聴できなかったのがこの権利のおかげで傍聴できるようになりました。」

えぇぇえ???

である。


当然の事ながら、別枠で遺族、関係者は傍聴できると思っていたよっ!!!


席がないのなら野次馬のその他大勢を排除してでも、遺族を犯人の刑罰が言い渡される場所に同席させるのは当たり前の事、と思っていた。
同席するかしないかは、遺族の判断に任せて。

もっとはっきり言えば、
遺族、遺族が認めた関係者、及び法律の勉強として事前に裁判所に申請し許可された身元が確かな人間だけに傍聴させるのが最小必須の人数だ、位に思うのだが。

驚いた。

じゃぁ、この権利が保証される前は、なにかい?
自分の夫、妻、親、兄弟、子供が殺されても、その犯人の裁きの場所に、自分達とはまったく関係のない野次馬根性で事件の詳細が知りたくてワクワクしている世間の有象無象の数が多ければ、自分は傍聴できなかったのかぃい?

確か前にも、本村さんがご家族の遺影を持って傍聴しようとしたら、それを許可されなかった、って話もあったよね。

なんだよーーーー!
おかしいんじゃない?

まぁでも、少しづつでも一般庶民の感覚に近い権利?が実行されてきているっぽいから良いけど・・・
なんか・・・
いつから、日本はおかしくなっちゃったんだろう・・・



3つめ
本村さんが言った中で、

法は未完

と言う言葉が、我が意を得たり!という思いがした。
まったくです。
本村さんは、これを肯定的な意味で使った、と私は思っています。

これからも、被害者、加害者双方にとって生きている法を施行していってください、もしくは法解釈をしてください、という意味に取った。




本村さん曰く
「私はこの事件以前、六法全書を開いた事もなかった人間です」

私も含め、大方の人間も同じだと思う。
高校の時に憲法第九条を見るとき位しか六法全書なんて縁がない。
趣味で読む以外、これから先も縁が生まれない事を望む。

でも、一人の人間が必要に迫られて勉強する事で、これほど見事に文字で、まして小難しくわざと分かりにくくしてるんじゃないの?と思う単語で表わされたその奥にある意味を得、自分のモノにする事ができるのか、という事に感服した。
自分自身の言葉でしゃべっているよね。

やっぱり、見事だ!という言葉しか出てこない。
うすっぺらな感傷しか私は言えないが、ひとまず「お疲れ様でした」という言葉を差し上げたい。






と、これで終わりか!と思っていたら、まだ上告って手段が残されてるってぇ?
どうなってるの?(泣
裁判の仕組みって?

更に2時から弁護団の会見があるという。
又鬱憤晴らし(私の^^;)の記事を書く事にならなければいいけど。
posted by 葉山猫 at 13:55| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月11日

聖火消化そうか  続報

前記事「聖火消化そうか」で疑問に思った事に答えがでた。



さきほどふとチャンネルを合わせたニュースステーションで、聖火をパッチンパッチン消していた水色制服チームの事が報じられていた。

中国側のスポークスマン(女性の偉いさん)が
「彼らは、中国警察学院の生徒からの志願者達です。」
と言っていた。
中国側が言うのだから、それが表向きの身分なのだろう。
金で雇われたそこらのガードマンではなかった訳だ。

しかし、警察学院在席となると国家公務員だよね。
一応?
すると・・・主権侵害ではないのか?
(日本の警察大学学生って、既に警官だよね? 
同じには考えてはいけないのだろうか)

国家主席が他国を訪問する時にも、自国のガードが付くとは思うけど・・・
それと同一に考えていいのだろうか?

===================
追記:
あぁ〜〜〜 ごめん!
今他の報道番組で補足があった。
女性(中国外務省副報道局長)が追加発言していた。
「かれらは司法関係者ではありません」
つまり、警察学院の生徒だけど、警察官ではない、そうです。
ほんとかよ?
まぁ学生なら今現在「現場の」警察官ではないだろうけどサー (¬_¬)
===================



少なくとも感情論的には、日本のオリンピック時に同じ事をして、
日本の警察大学学生、防衛大学学生が聖火をガードして中国や韓国内を走ったら、えっらい騒ぎになると思うなぁ。

オーストラリアは、オーストラリア内での聖火リレーではランナー交代以外では、このチームはバス中で待機してもらう、と発表した。
日本でも同じ要求をして欲しいなぁ。

結局、他国民や中国に抗議している団体に聖火を消されるのは業腹だから、「消される前に」自国民の、まして政府側の人間の手で消せば面子が保たれるって事で、あぁ簡単に消すのだろう。

やっぱり聖火を私物化してるわ・・・
posted by 葉山猫 at 01:00| ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月10日

長寿は弔辞

下手なシャレのタイトルですいません。
不謹慎と怒らないでね^^;



しっかり調べてから記事にしようと思ったけど、とんでもなく危機感を感じたので、熱い内にと中途半端なままだけどアップしようと思う。


後期高齢者医療制度


75歳以上を後期高齢者と呼ぶのは失礼とか分けの分からん突込みを受けて、長寿医療制度と福田総理大臣が名称変更を提案したそうだが、バカな部分で何やってるんだかっ。
である。

とても

長寿ぴかぴか(新しい)

という言葉から感じる制度ではないっ!!
ケンカ売ってんのか、オメェー!
の世界である。



私も私の友人もまだまだ75歳にはほど遠いと思う。
だけど、ちと考えて欲しい。


その前に、この後期高齢者医療制度の要約を書かねばならんか。
私がちゃんと理解できているかどうか分からないけど、書いてみる。
間違いがあったら、ビシビシとご指摘ください。

1.対象者は、75歳以上。
 及び、65歳以上75歳未満で「寝たきり等の一定の障害がある」と広域連合(県ごとに存在?)から認定された方。

2.上記対象者と認定された方は、それまで持っていたどのような保険証も問答無用で取り上げられ、この「後期高齢者」用保険証を使わなくてはならない。

3.この「後期高齢者」保険は、一人一人保険料を払わなくてはならない。
 例えば、75歳のじいちゃんと74歳の婆ちゃん夫婦がいた場合、
先月までは、爺ちゃん名義の国民保険で扶養家族である婆ちゃんも医療を受けれてた。
保険代は、爺ちゃん用一人分?
ところが今月から、
75歳の爺ちゃんは、後期高齢者保険代として一人分の保険代を、
婆ちゃんは74歳で対象者じゃないから、国民保険代を一人前自分の名義で払わなくちゃいけない。

・・・あれ?
二人とも75歳以上の夫婦はどうなるんだ?

4.この保険代は、県ごとに異なる。
 倍近く違う県が出てくるっぽい。

5.この保険代は、年金を支給されるときに天引きされる。

6.この保険代と介護保険代を足した金額が、年金額の1/2を超える場合、天引きされない代わりに、払える余裕がある時に自分で払い込み行かなくてはならない。
つまり、どっちにしろ払わなくちゃいけない。

7.この保険代を一定期間払わないと、保険証は取り上げられて治療費は保険の効かない本来の金額を丸々払わなくてはならない。

8.いくらの保険代を払うかは、2年ごとに見直される。
 
9.生活保護受給家庭では、減免がある。

10.保険総額は、大体年間で9万程?。

11.現在70歳以上〜75歳未満の「前期高齢者」は、患者の窓口負担が現行の1割から2割負担へと変わる。



こんなもんか?
正式施行前の資料だが、もっとちゃんと知りたい方は

後期高齢者医療制度 5分で概要マスター

あたりをどうぞ。
他にも検索すればいっぱい出てくるけど。



続きを読む
posted by 葉山猫 at 17:16| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月08日

聖火消火そうか

いやはや。驚いた。

パッチンパッチン、良くもまぁ簡単に聖火を消すもんだ。


聖火のトーチをつかんで、シュ〜、パチンと簡単にスイッチをひねって火を消したのは、水色の制服を着た男達。
ニュースによると、中国が雇った「聖火保護チーム?(名前うろ覚え)」。
20代の男性達で、北京に着くまで聖火リレーの全行程に付き従うそうだ。
又ニュースからは、抗議団体が聖火を消したのではなく、聖火ランナーを先へ進ませる(バスで運ぶ?)ために主催者側(中国側が雇った上記チームの人間)がすべて消したようだ。
(別のニュースでは、「パリ市警」が消したとしているものある。何が正しいんだ? 今は、さきほどTVで見たニュース報道を信じる)

=======================
2008/04/10 22:00 追記
=======================

聖火を消す権利はあるのか?
と、この北京聖火保護チーム担当者に電話質問すると
あります
という返答内容がテレビ画面のテロップに流れた。


なんか・・・
違う。
(いや、権利はあるんだろうけどサ)



聖火を暴力的に消そうとするのには賛成できないが、何かしらの抗議活動をしたい気持ちも分かる。
(ちなみに私は中国がやってる同化政策は大反対)
又、聖火リレーをなるべく混乱を防いで続行したいという主催者側の気持ちも分かる。
だけど。

あんなに簡単にパッチンパッチン聖火消したら、ありがたみもなにもないと思うぞ。
聖火には予備があると聞いている。
過去のオリンピックでも予備を用意して不測の事態に備えていたはずだけど、なるべく、なるべく!メインの聖火を消さないよう努力していたはずだ。
ギリシャで灯した火をそのまま国から国へ、手から手へ受け渡して開催地まで運んだ、というイメージを保とうとしていたと思う。
そこに意味を持たせていたのでしょう?
世界平和とか人類皆兄弟!的な。


ああ簡単に消すのを見ると、予備の聖火から火を移したのかも疑わしく思えてしまう・・・
バスの中に予備の聖火があったのだろうか?
(バスの中に火を持ち込めてたんなら、ランナーが持ってたトーチも炎を小さく絞って乗れば良いと思う。バスで移動するならね)

又簡単にスイッチひねって、100円ライターで火をつけたんではないのぉ〜〜〜?
と疑わしくなる。
(パリに100円ライターがあるかどうかは知らんけど^^;)

予備から灯したとしても、あぁあからさまだと
ありがたみもワクワク感も爪の先程も感じられなくなった。


愛読させていただいてる『中華的生活「多少銭?」』『(裏@趣味)中華的生活「多少銭?」』等で、○国の国民性(漢人の性質?)というか政府のやり口を読んでため息をついたり、笑ったり憤慨したりしているが、
この、目的[北京の聖火台に火を灯す]を達成しさえすれば、手段も過程も問わないという事か。

他の問題と絡めてはいけないと思いつつも、
毒餃子、農薬たっぷり野菜や毒塗りおもちゃ、日本が中国に対して行っている莫大な金額のODAを国民に知らせていない事も含めた天○門事件でよく知られる事になった報道規制、太平洋戦争後何年経ってるんだよ!と言いたくなる、国内の不満を抑えるために矛先を向けやすい国民共通の敵(つまり日本)の認識を煽り、未だに小学生レベルから反日教育をしている(らしい)ことやら、上記ブログに登場する自分が儲かれば、の人間達の行為をどうしても連想してしまう。


自分さえ良ければ良い


オリンピックは聖火をギリシャから貰う所から始まっている。

安全に聖火を現地まで持っていく、というのが第一目標だろうが、
あぁ簡単にまるで私物のようにパッチンパッチン消していいものだろうか?
私はすごく違和感を感じた。
いや、抵抗をおぼえた。



私自身はもう大分以前からオリンピックには興味を持てなくなっているが、以前どこだかの国のオリンピックで海中を聖火リレーするための特別なトーチを設計した、という画面を見た事がある。
素直に驚いたし、顔がほころんだ。

「皆で楽しもう]「皆に喜んでもらおう」
「良い(洒落た)演出で皆を驚かそう」
という感じ(自国の技術力を誇ったとしても)が伝わってきた。
いいなぁ^^  
と思った。


上手に言えないが、
テレビに映ってた柔道の金メダリスト(過去にいろいろ言われてたけど)のドイエ選手(聖火ランナー)が言った言葉(日本語訳だけど^^;)が言い表していると思う。


中国はオリンピックの意味が分かっていない。

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posted by 葉山猫 at 18:52| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月04日

黄金の羅針盤  -ライラの冒険-  読了

読み終わりました。


感想
1)結末はまぁ良かった。
2)物語の持って行き方は・・・(´・ω・`)


以下ネタばれ!!!
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posted by 葉山猫 at 12:26| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 本 活字 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする