2008年06月24日

石再び

またまた、更新をサボっておりました。

ここ2〜3ヶ月体調が悪く、又気分も↓向きだったのですが、原因の一つが分かりました。

再びの石持ちでしたぁ!

まったく・・・
1cm2mmほどの石が、左側腎臓の尿管の出口にすっぽりとはまり込み、腎臓が脹れてるそうです。

昨日、朝6時半頃に痛みで目が覚め、これは尋常でないと8時頃まで我慢してタクシーで横○○大病院へ向かいました。

8時過ぎに受付をし、会計を済まし処方箋をもらった時点で、16時40分。
かかった費用は、1万6千円ほど・・・

おまけに7月頭に破砕手術をすることになりました。
手術費用はいくらになるんだか・・・
15万ほどでしょうか。


くぅぅぅぅ。
ぼちぼち貯金も出来、来年当たりは相方と2人、久しぶりの海外旅行ができるかな、と楽しみにしていたのですが!


ただ、脚の付け根付近の下腹がぎりぎり痛むのは、石とは関係ないと言われましたけど・・・
又微熱が続くと言うのも、腎臓ではないと言われました。
腎臓から出る熱は、8度9度以上になるそうです。
知らんかった。

石持ちエキスパートと(ぇ?)と思ってましたが^^;、今回は常時ある痛みが脚の付け根付近だったので、石の可能性はちらっと思い浮かびましたが、すぐに考慮外にしてました。
実際、腰が重たい痛いというのは、ここ2〜3日だったのでねー。
腰が重い痛いは常時だったのでピンとこなかったのですよ。
ただ、一昨日は腰の痛みが尋常でなく座ってられなかったのですが。
(今も痛いよー(泣))


も一つ勉強した事、私は痛み止めはどれも同じモノと思ってました。
例えると、チョコレートみたいなもの。(ぇ?)
メーカーが異なっても、チョコはチョコ。
若干味の違いはあってもチョコレートだろう、という感じ。

ですが、今回お腹の痛みを抑える為に、家にあったロキソニンという痛み止めを飲んだのですが、なかなか効かず、効能書きを無視して(ごめんなさい)、間隔をあけずに二錠三錠と飲み、やっと効く(?)という感じでした。

ところが今回の診察時に、レントゲン結果で石と分かった後でお医者様が、
「ロキソニンが効かなかったって言ってましたしね」
という事を言ったのですよ。

で、後で処方されたのがブスコバン。
確かに以前の石の時も処方されたのはブスコバンでした。

ほんのちょっとした聞きかじりの情報ですが、「ほーーーー!」とい感じ(笑)。


後、大学病院という事で、ギャラリーがいました。
エコーでお腹を見ていた時に、女医さんのひよこ二人ほどに、りっぱな雌鶏(という例えは失礼か・・)の女医さんが、
「これが門脈ね」
「これは何?」
とか小声でやっとりました。

「勉強になるでしょ?」と女医さんが言うので
私も思わず
「私にも勉強になります」
と言ってしまいましたが。うふ。

しかし、自分の身体の中など滅多に見れる事はないので、正直興味津々なんですけどねーー(笑

どうして医者っていうのは身内だけで言おうとするのかしら?
患者にも見せた方が、自分の身体の状態を意識すると思うのですけどね。
患者に見せたらうるさい事を言うとでも思ってるのかなー?


他にも書きたい事(主に時間がかかった原因)とかあるのですが^^;、腰がそろそろ限界なので、今日はこの辺で!


あ、ひとつだけ。

今回救急車を呼ぼうかどうしようかと、6時半頃から悩んだあげく、1階にこの部屋の管理人さん達の事務所があったので、後で恥ずかしいかなー?と思い、又昨今のニュースで救急車をタクシー代わりに使う人がいると聞いていたので、この痛み位では死にはせんだろう、もっと重症の人に悪いと思ったりで呼ばずにタクシーで行ったのですが、


とても痛い時は救急車を呼んだ方が良い!

です^^;

1時頃まで痛み止め貰えませんでした。
もらえた頃は痛みも治まって来た頃で・・・
ベッドには寝かせて貰えてましたけどね。

救急で行ってたら、もしかしたらもっと診察早かったかなーと思ったりしました。
正直^^;

だめ?
この考え?
たははは。
タグ:尿管結石
posted by 葉山猫 at 09:57| ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月09日

今日思ったこと

随分と更新をサボってしまいました。<(_ _)>

仕事のシフト時間やら、体調を崩したりといろいろありましたが、結局はすべてが面倒くさくなっていた、というのが真実です。
ううう。
もし、毎日見にきてくださって方がいたとしたら、
すいません!
ごめんなさい!

他の方のブログ巡回もしばらくしておりませんでした。
いや、時々拝見しに行ってはいたのですが、どういう訳か記事を読み通す事自体が辛かったです。
(内容は関係ないですよ。文字を読むこと自体が辛かったのです。)
うーん。
活字を読むのが好きな私が珍しい・・・



今も、「なんだかとっても疲れたの、何もしたくないわ」病は継続中ですが^^;
久しぶりに拝見しに行ったブログ先で「え?」と思った事がありましたので・・・

自分の内容で記事を書かずに、人様の○んどしで相撲を取るようで申し訳ないのですが。


あるブログの記事のコメントを見て感じた事です。
先方の記事のコメントに自分の意見を書くと、時期はずれでもあるし、せっかく落ち着いているのに波風たってもいけないと思い、こっちに書いてしまおう。
(そちらの主さんもなんとなくお疲れ?のようで、これ以上煩わせても申し訳ない、という気持ちも有るので敢えてブログ名を伏せます。
・・・って分かっちゃうかな。もしお分かりの方がいて先方の記事コメントを読んで何か書きたくなったら、あちらを騒がせないようにお願いしますね(´・ω・`) お願いしますね)



で、本題。
ある記事に付いた質問コメントの件ですが・・・
目が点になりました(笑


ある個人的な質問をブログ主さんの知恵を借りたくて相談コメントをしたにも関わらず、その返答内容の前提イメージが、自分の実際?とは違うとご立腹して、捨て台詞を吐いた方がいたのです。


あの質問コメントを読んだ限りでは、私もまったくブログ主さんと同じ印象を受けましたし(何か複雑な、もしくは公の場ではあまり詳しく書きたくない事情があるのかな?という)、ブログ主さんの対応は至極真っ当で、言葉使いも穏当で真摯な内容だったのに・・・


御自分の無記載、選んだ表現方法を棚にあげての返信を読んで、びっくり。
あの返答内容で気分を害するとは・・・
多分、相当プライド、いや「自尊心というか驕り」が強い方としか思えないですねぇ。

日本語が母国語なら、あの程度の意思疎通能力で海外拠点にするとは老婆心ながら大変なご苦労をされる事と推察します<(_ _)>

でもプライドが高い(見栄をはる)人なら、「内緒で一緒にXXXXいいものですか」などと言うストレートな記述をせんと思うけどな・・・
どう思われるか体面気にするはずだから。
不自然さを感じるので、もしかして、なりすましの釣り・・・か。^^;
真面目に怒っている私は、まんまとはめられたか^^;
コメントのハンドル名もアレだしなぁ・・・
(第三者から検索されて読まれる自分のコメントをサチコメ、サチコと言ったりしますので)





ここから、自分の○んどし。


秋葉原の事件。
亡くなられた方、そのご家族に心からの哀悼を捧げます。

最近こういうの増えてきた。
「誰でも良かった」

本当に何かおかしくなってきている、という得体の知れない思いが心臓をじわじわとつかむようで不気味だ。

前述のコメント主も同じような感じではないのか、と思ってしまう。
自分の表現方法が足りない、間違っていた等に思いをはせず、一方的に、自分を理解してくれない、自分を理解してくれないのはお前が悪い。
私は傷ついた!
の論法。
これが行き着く先(積み重なる)が、「むしゃくしゃした」「誰でも良かった」の自分の鬱憤を晴らす行為につながるのではないのか。



前々から書いているけど、
心神喪失とか、責任能力欠如とかそんな理由で罪一等減じられるとか、無罪になるとか止めて欲しい。

罪は罪。

誤解を恐れずに言えば、
例え精神薄弱で、自分のしている事が分からずに相手を殺してしまった、という場合でも、そこに自らの意思が起こしたアクションが関係しているなら、健常人と同じ罰を与えろ、と思う。

何故なら、治らないから。
どこかに一生隔離しない限り同じ事が起こる可能性があるから。
罪の意識がないなら、一層同じ事をする可能性が高いから。
大変危険な考えと分かってはいるが、そういう生産性のない、というか危険性がある人間を保護する必要があるのだろうか。


考えるんだけど。
例え、精神の異常?状態が常態ではなく一時的なものだったとしても、それが言い訳になるだろうか?

薬や酒で一時的に責任能力が失われていた、と言っても、全員が全員、深酒したり、薬で譫妄状態になった時に、人を殺したり、傷つけたりするか?

その行動の動機はその人の心の奥底に有る訳だから、又素面状態を保てない状況になれば同じ事をするのじゃないのか?


もちろん、例えば酒でべろんべろんになってて、自分は何も分かってない状態で手に庖丁を持たされ、???状態なのに、
「ほれ!」
っとばかりに、誰かに向かって背中を強く押されたりした場合は別よ。

素面だったら、庖丁を持たされることもないし、背中を押されても踏みとどまれるだろうから。

無論そこまで深酒をした、薬を飲んだという責任は本人にあるけど。


上手に言えないけど、最近の風潮は、罪を犯した人間の弁護、いや、罰逃れの言い訳を殊更に言い立て、ある日突然面識もない人間に命を奪われた側が置き去りにされてると強く感じる。

はっきり言えば、
命を奪われた側にすれば、どんな誰に命を奪われようが、命を失ってしまった事には変わりはない。

例えば、
誰でも良かった、人を殺したかったという意思を持った小学生」に刺されたからと言って、諦めがつくだろうか。蝶の羽根をもぐ感覚で、たまたまそばにいたから命を奪われた、からといって、精神状態が一般的でない人に命を奪われて諦めがつくのだろうか。

前者に関しては、
小学生なのに末恐ろしい!
と私は感じる。
更正なぞできるものか!と思う。
例えは、小学生だけど未成年って事ね。

後者は
どうしてこういう危険性がある人物を野放しにしたのか!
と周りの監督責任がある人間を恨む。
面倒を見る人間が責任を真っ当できないのなら、獣と同じで体罰を与えろ!と思う。
もちろん、監督責任を負っていた人間には、本人が罪を犯したのと同等くらいの罰を与えても良いと思う。

ここら辺が、今の日本では曖昧だよね。
病院関係者にしても、兆候が見えてたのに放置していた家族にしても圏外になってるよね。
まぁ本人と同じ罰、っていうのもいろんな事情があるだろうから言い過ぎとしても、今のように記者会見で謝って終わり、ってのはないだろう、と思う。



猛獣が本性を表わして人を襲っても罪には問えない、猛獣は猛獣だから。
だけど、愛玩動物であった座敷犬が有る日突然人を襲い始めたら殺処分にするしかないだろう。
いや猛獣と言われている動物でも、人間を襲ったら殺処分にされる場合がある。
動物園以外の話だけど。
でも、狂犬病とかにかかってしまったら、動物園に保護されている猛獣でも殺処分だよね、きっと・・・


人間は知恵有る動物と言われてる。
ルールが守れる種だと言われてる。


ならば、知恵があり、ルールが守れるはずの人間がそれを守れなくなったら、原因が病気だろうが、本人の僻みだろうが殺処分しかないのではないのか。
言葉が過激になった。

もちろん、この先私が人を殺したら、死刑で構わない。
どんな理由があろうとも。
もし、精神を病んで、もしくは違法な薬を飲んだり、酒を飲んでたりしても「自分の意思」で人を殺したら死刑で構わない。
自分の意思が「神の声を聞いた」結果でも同じこと。

私がどんなに涙を流して、罪を犯したことについてなんやかんや言っても、その時の裁判官、陪審員達、死刑にしてください。
(殺人事件とか重大犯罪の場合は、陪審員制では協議しないとか読んだ記憶があるけど)



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posted by 葉山猫 at 12:38| ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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