2009年01月07日

お正月

大気汚染されてない空気を吸いたいと思うgremz発芽105日目

実家で食べたお節!

osechi.jpg
16000円也 (W64SHで撮影)

(一見)豪華ねぇ〜
ただ皆小ぶりで、と言うより、量が少ない!
ほとんどが3個づつしか入ってない!
田作り?ごまめ?なんか、2cm以下の大きさしかない!
(小魚はさすがに3匹って訳じゃありません(笑))
2人用なのかなぁ。
2人で約3日間で16000円か・・・
うーむ・・・


父が亡くなる前より、いつ頃からか?
実家ではお節の手抜きをし始めた。

って言うと、聞こえが悪いけど、昔の様にすべてを手作りしなくなったって事だ。
まぁ年だものね・・・


昔は年末は大変だったなぁ。
大掃除から始まって、お節の準備、お正月の飾りの準備やらでもう気が重かった。
子供心にお正月を迎えるうきうきさとは別に、「うぇ〜、やだなぁ」という記憶がある(笑
私がイヤだったのだから、母はもっとイヤで大変だっただろう。
お正月に料理をほとんどしないってのは、年末倍以上働け!って事だ(爆)

栗きんとん、田作り、黒豆、数の子、菊なます・・・
伊達巻もなんかで巻いて作ってた記憶があるな・・・
買うのは、かまぼこと・・・ナルト位だったのではなかろうか・・・
常にお鍋が火にかかっていた気がする。

冷たい水の中で数の子の筋?取りを延々とした記憶がある^^
あー
それと、お世話になった方や父母のそれぞれの実家や実家に帰ってくる兄弟姉妹に配る鮭(新巻や切り身、ルイベ、スモークサーモン)やらまぐろやらをそれ用に包むって仕事もあったなぁ。
(父は当時天下の!ニチロだったので。社内販売かどうか知らないけどやたら買い込んで来ていた)


紅白歌合戦は食卓で見た記憶があるけど、年越しそばは除夜の鐘がなる寸前に食べていたような・・・?
紅白歌合戦も昔は21時からだったよね・・・?
レコード大賞が決まってから、歌手たちが大急ぎで紅白の会場へ向かっていたよね?


年が明けたら明けたで、お年賀に伺った記憶もある。
「お年賀に伺う」で言葉使いあってるかな?
もう久しく使ってない言葉なので、わからなくなった(爆)


父母のお仲人さんのうちや、忘れたけど何軒か父母に連れられて行った記憶があるな。
お年玉をもらえるのは嬉しかったけど、今みたいに何万円何千円になるって事はなかったから、ただひたすら大人しく座っていなければならなかったのでそれが苦痛だった記憶がある。

父だけきちんとした格好で出かけて行った記憶もあるが、最近は上司や目上の人のお宅へお年賀に行くって習慣はなくなったのかな?
それとも父がリタイアして(且つ亡くなったし)長い年月が経ったから、私が世間の事にうとくなっただけだろうか?



元旦の朝には、両手をついて父母に明けましておめでとうございますの挨拶をしたり、
初夢何見たの?、とか話したり、
二日には書初めをしたり、
羽子板で羽根をついたり・・・

そういえば、我が家では元旦の最初のガスコンロの火をつけるのは、父の役目だった。
昔で言えば、年の初めのかまどの火を入れるのはその家の主人の役目って事の代わりだったのだろう。
これって、普通の事だったのかな。
それとも我が家だけの伝統だったのかしら・・・?
相方と暮らし始めた時、相方にお願いしたら驚かれた。
悪い気持ちはしなかったらしいが(笑


そんなこんなも今はせず。

母は楽で良いわって言ってるけど。




ちょっとだけ、
ほんのちょっとだけ。


車の音もあまりしない静けさの中

凧を持ったり、コマ回しの独楽と縄を持った子供達の声だけが時折聞こえ

外の、しん、とした雰囲気の中

何故か昨日までとは違うような感じを受ける冷たい空気をもう一度


吸ってみたい気がする


ラベル:お正月
posted by 葉山猫 at 11:23| ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 特別付録 昭和2年生まれの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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