2015年03月30日

是か非か論じるまでもない事

こういう記事があった。

裁判員裁判 「衝撃証拠」で急性ストレス障害…配慮か、直視か

簡単に言うと、
裁判員に選出された女性が、
『24年7月に福島県内で2人が殺害された強盗殺人事件。死刑が選択される可能性もある事案』
に参加し、

「裁判時に開示される証拠写真や凶器を目にした事で後遺症が残り、日常生活がままならなくなった。」

と言う訴えで、

『裁判員制度は憲法が禁じる「苦役」に当たると主張』

と言うことらしい。
敗訴となったが不服として控訴するらしい。


これは・・・女性には同情するけど、

直視でしょう。

絶対に。


記事の最後の方に書かれているが、

衝撃証拠が裁判員に与えるインパクトの強さを認めた上で「証拠を冷静に見ることができる人こそ、公正な判断ができる」と高橋弁護士。「『やりたくない』と言えば、辞退は認められるはず」としており、「公判で遺体写真を取り調べる場合は、呼出状の段階からそれを明記し、それでも選任手続きに参加してくれる人から裁判員を選ぶべきだ」と提案する。


がどうしても救済?が必要と言うなら「妥協案」だと思う。

でも本当は妥協案も必要ないと言いたい。


だって。

真実を知らなければ、人ひとり裁けないでしょう?
いや、裁いちゃいけないでしょうよ。

冷静に見れなくて当たり前なんですよ。
(大なり小なり)「冷静に見れないような事」だからこそ、犯罪とされるのだから。

例え、100円でも理不尽に盗られたら腹立つでしょう?

それが・・・

被害者は血だまりの中に横たわり、自分から流れ出る血を見たかも知れない。
自分の腹に突き刺さった包丁を見たかも知れない。
自分の首に巻き付いた紐や手を振りほどけなくてどんな焦り、絶望、怒り、恐怖を感じたか。

被害者を見つけた人、特に家族が見つけてたらどんな衝撃を受けたか。

それを

自分のその後の生活に支障をきたすから。
前と同じ心境になれないから。
結局は、自分は関係ないので安寧な生活を送りたいから、<自分の生活に入ってきて欲しくない事>。

と言う理由で目をそむける。
見せないでくれと言う。
見たくないと言う。

おかしいでしょう・・・

誰だって被害者になりうる。
被害者の家族になりうる。


その時、犯した人間にやった内容に見合う罰を与えたいと思わない?

それを白黒写真やイラスト、言葉で形容されて事実が事実でなく、「裁判員に衝撃を与えないように」緩和された状態だったら、

「いやいやいや!そんなもんじゃない!!!! 実際はもっとひどかったんだよ!娘は、息子は、父は、母は、おばあちゃんは、おじいちゃんは血まみれだったんだよ! もう真っ赤だったんだよ!! それなのに奴はそういう状態の人間を放置して、金盗んだり物盗ったりしてたんだよ!!!」

と悲鳴を上げたいと思わない?

それなのに「あ、こんな程度」的な情報で罰を決められたら納得できないでしょう。

いや、それよりもこれよりも、事実そのものを”現した”写真や情報でなければ、それは、

それを加工した人間の匙加減で印象が変わる可能性もあるし、

第一、加工する人間の手を経ただけで、米TV番組等でよく聞く伝聞証拠になりはしないか?

日本ではどうだか知らないけど。

もちろん・・・
感情に任せて罰を決めるのはまずいと思う。
公式リンチになりかねない。
ヤバイ状況になるかも知れない。
冤罪なんかだと目も当てられなくなる。

だけどさ・・・
事実を冷静に見れず、衝撃を受けたとしても、だからこそ、その後の話し合いで「冷静になるよう努めて」議論を尽くすのではないの?


最近強く感じている事だけど、
日本って被害者加害者の扱い、おかしくないですか?

加害者は連行される時も服を被ったりして顔を隠している。
裁判模様もイラストだし。

人権とかのせいで、特に未成年者の加害者の情報は隠されまくる。

その反面、と言うか、むしろそのために、特に少年犯罪の場合、加害者の情報が公開されないがために、衝撃的な事件な程、メディアが視聴率、購買数を上げたいがために、乗り遅れないためになんか書かないと!的に被害者側の情報を掘り起こして報道する。

加害者のプライバシーは守られているのに、被害者のプライバシーなんてなんもない。
被害者の人権なんて、被害にあった時点、殺された時点でなくなっている。

もちろんね、裁判で犯行が確定されない限り、犯人とは断定できないので無罪の可能性もある。
だから服で顔を隠すとかなるべく情報を隠すってのは分かるよ。

だけどなんかおかしいよね・・・


こんな状態で、更に、今のところ自分(裁判員)は被害にあってない、という事から、(敢えて言い切りますが)所詮他人事で自分の生活を乱したくないという理由で、犯罪内容、証拠の衝撃度を緩和するって言うのは

被害者側の、正統に、公正に「俺の、私の、事件を裁いて」の思いが踏みにじられる気がしてならない・・・


それに・・・
裁かれる側に取っても、自分がやった事のプラマイゼロの証拠であって欲しいだろう。
だって(今は白黒写真とかイラストだとか言ってるけど)「加工」が許されるのなら、自分(裁かれる側)にとって(衝撃度が低い)有利なものばかりになる、とは限らない。
人の手が介在するってのはそういうものだよ。

衝撃度のレベルの判断、完成した写真やイラストを誰がどう「いいか悪いか。適切かそうでないか。」って判断するんでしょうね?
人によって衝撃度ってマチマチじゃないですか?
衝撃度を緩和するって一端承認されたら、際限なくなりますよ。

そして、例え単純にフィルム変えて撮ったモノクロ写真にしたって、検察側、弁護側で、自分に有利になるよう、お互いの証拠に難癖つけあって今より裁判長引くようにならないですか?
 


なんか書いているうちに、この記事の女性に同情できなくなった・・・

(今後この方と同じく思う方は)どうしても自分の生活に入り込んで欲しくないなら、10万払って回避すればいい。
(裁判員になるのもイヤ、金を払うのもイヤ、もしくは払えない)ならそれに応じた罰則(があるなら)を受けてでも<自分は>回避すればいい。
そうしつつ、裁判員制度をなくし、プロの裁判官だけで判断する制度に戻せと活動するべき。

ただ言えるのは、絶対に衝撃度緩和問題に転嫁して欲しくない。



少なくとも、裁判員に見せられる情報は、どんな情報でも

国民に与える「苦役」

では絶対にない。

被害者、犯人共に、公正に事件・事故を裁くための必要不可欠な情報に過ぎない。
それが衝撃的であればあるほど、裁判員に後遺症が残る事件が多くなればなるほど、なぜこんな事件、事故が起きたか根本を考えるべき。

それと裁判員経験者へのアフターフォローを真剣に考えるべき。
控訴もなく刑が確定したら、裁判内容を発言してもいいとか?
(実際どうなってるか確認してないけど)
人間体験した事強く思った事を話せない事程ストレスがたまるものはないです。

 
ラベル:裁判員制度
posted by 葉山猫 at 12:30| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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