2008年10月21日

スポーツの祭典とは  (オリンピック出場資格)

                                     gremz発芽27日目
1912年(明治45年)のオリンピック
ストックホルム大会

金栗 四三(かなぐり しそう)選手は、マラソンの予選会において足袋で当時の世界記録(当時の距離は25マイル=40.225キロ)を27分も縮める大記録を出し、短距離の三島弥彦と共に日本人初のオリンピック選手となった。

ところが、当時は日本からスウェーデンへ20日もかけての船と列車の旅。
さらに、スウェーデンの夜は明るいため、睡眠にも支障があった。
食事面では、当時はスウェーデンでは米はなく、その上、マラソンの当日は、金栗を迎えに来るはずの車が来ず、競技場まで走らなければいけなかった。
また、40℃という記録的な暑さで、参加者68名中、およそ半分が途中棄権し、1名は倒れた上、翌日亡くなったと言われている。


そういう状況下でのマラソンレース。

期待された金栗選手は、レース途中で日射病で意識を失って倒れ、近くの農家で介抱される。
その農家で目を覚ましたのは、既に競技も終わった翌日の朝であった。


スウェーデンでは、金栗選手が単にソーレンツナ(Sollentuna)のある家庭で、お庭でのお茶とお菓子に誘われ、それをご馳走になって、そのままマラソンを中断したと理解されていたそうだ。




だが。

1967年(昭和42年)3月
金栗氏は、スウェーデンのオリンピック委員会からストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待される。

ストックホルムオリンピックでは棄権の意志がオリンピック委員会に伝わっておらず「競技中に失踪し行方不明」として扱われていた。

記念式典の開催に当たって当時の記録を調べていたオリンピック委員会がこれに気付き、金栗を記念式典でゴールさせることにしたのである。

招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、競技場内に用意されたゴールテープを切った。

そして場内にアナウンスが響き渡った。

只今の記録は、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3でした。
これで第5回ストックホルム大会は、総ての競技を終了いたしました。


出典:Wikipedia 金栗四三


どうよ!!!


この後の金栗選手のコメントは、

「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」

当時、ゴールしなかった金栗選手には日本国内で相当ひどい批判がなされたそうだ。
この金栗選手は上記出典元のWikipediaを読んでいただくとわかるが、相当日本の陸上競技に貢献尽力してくださった方のようです。

(うがってみれば金栗選手への応対は、当時のストックホルム大会運営側の不手際・落ち度を払拭するためのものだったかも知れず、金栗選手を含む他の選手への謝罪であるのかも知れない。そうであっても演出の心憎さは変わらないが。
それにしても、お茶飲んでたぁ〜?それで競技棄権〜??
ありえんだろっっっ!
大枚使って訪国しているのに!
当時がそういう事も有り!、と思うようなのんびりしたものだったのか、とんでもない状況下でのレースだったからそう思い込もうとしたのか。でも、どちらにしてもありえんだろ!!(笑)



翻って以下のニュースを読んでみる。

2008年10月21日8時2分配信 サンケイスポーツ
日本柔道界に衝撃が走った。国際柔道連盟(IJF)の理事会は、19日夜に五輪の出場資格獲得などに結び付くランキング制度を来年1月から導入することを決めた。

来年1月からの新制度では優勝すると五輪(600点)、世界選手権(500点)、マスターズ(400点)、グランドスラム(300点)、グランプリ(200点)、ワールドカップ(100点)の順で得点を分配。男女の各階級でランキングを作成し、五輪出場権が各階級1カ国・地域1代表の原則で男子が上位22人、女子は同14人の選手に与えられる。

過去の実績が高く評価された五輪代表選考は見直しを迫られ、強化は若手中心の少数精鋭主義に転換しそうだ。

以上抜粋




前記事で谷選手を私は応援していると書いたが、今回谷選手はどうでもいい。(こら
そこが問題じゃない。



オリンピックは、「スポーツの『祭典』』なのか、単なる4年に一度の世界1を決める大会なのか。

『祭典』と日本では呼称されるが、他の国々ではそうではないのか。
今あるワールドなんとか、世界〜〜選手権とかが昔はなかっただけで、実質扱いは同じなのか。

いや以前、

記録は世界選手権で、名誉はオリンピックで

という言葉がある、と聞いた事がある。


最近オリンピックに興味が持てないのは、私にとって面白くないからだ。
以前体操などは楽しみにして見ていたが、今は乳も尻も薄っぺたい子供が飛んだり跳ねたり体をくねらせたり。

チャスラフスカはどこへ行った!(古すぎか


いや、楽しんでますよ?
サーカスを見るのと同じ感覚で。
でも痛々しいのとなんか・・・
不自然さを感じるけどね。
まるで・・・XX雑技団。

シンクロも昔は楽しんでいたが、最近は採点に影響するあのわざとらしい満面の笑みが見たくないのでチャンネルがたまたま合ったら見る、という程度。


若手育成結構。
国内での公正な基準にのっとって選手を振り落とすのも結構。
ある種の思惑、温情処置で代表を決めるのも大方の人間が納得する程の事情ならOK。

でも、それは選手を選考する国に任せてもらえないか?


不勉強な私は以前はどの競技も、1国1代表(選手人数には制限があるにしても)で出れると思っていた。

上記のような仕組みが導入されていくと、
シドニーオリンピックで、水泳を始めて8ヶ月というギニアの選手が溺れそうになりながらゴールまで泳いだあのような光景はなくなる。
冬季オリンピックでのボブスレーだったか?雪・氷のないアフリカからチームが出場するという事もなくなる。
日本のカーリングももてはやされたが、あのような一般市民(?)が一念発起してオリンピックに出たる!
っていう話もなくなる。

かつてテニスやゴルフは白人(裕福層)のスポーツと言われていた。
金がかかるから。
オリンピック出場資格を、金があり常時訓練できる時間施設生活環境を維持できる特定の国、特定の階級層の人間に絞るのか。


常に勝ち続ける人間を得ようとすれば以下のような事が起きる。
○国のスポーツ強化選手候補のトレーニング風景を見たことがあるだろうか。
特に体操。

名誉と金が入るから、国中から子供がやってくる。
いつの時代の話か!
というほどの過酷な訓練風景だ。
中世時代の売買した子供を訓練して金を稼がせた話を連想させる。

途中でどんどん切り捨てられていく子供達・・・
家族の期待を裏切り、7〜10歳で挫折した子供達のその後はどうなるのだろうか。
家に帰りたいのに家族の期待があるから帰れない。
泣く泣く拷問かというほどの訓練を耐えても年に何回かの競技会で入賞しないと切り捨てられていく。

先進国の欧米や日本では、体操に挫折してもまだ己を生かす職業選択の自由、別の道での自分表現の場が残されているだろうが、○国では??
そもそも(将来の)金のために来ている子達だよ?

もちろん先進諸国の子供たちだって、小さい頃に
「才能がある!もしかしたら!」
ともてはやされ、いざトレーニングを始めたら上には上がいるで日の目を見なかった子達は心に傷を負うだろう。

それをうまくこなして成長できる人と、ずっとトラウマになって人生を放り出す人もいるかもしれない。
でも、好きで始めたものと、金のために家族の期待を背負ってやり始めるのとではその後は違うのではないのか?
金のためにやるなら、オリンピックではなくプロ集団を目指せよ。


強化は若手中心の少数精鋭主義に転換しそうだ。


これが、常識範囲内の訓練の結果、才能の開花で残った人間を指して言っているのであればいいが、つきつめていくと出場資格を満たし、対象強化選手となるには、もっと小さい頃からのハードな訓練・選抜につながっていくのではないのか。



どこが祭典か。

児童虐待
機械人間養成
(金)メダルが取れただけで、なんにでも優れていると勘違いする○カ人間養成(石○!おまえだっ)



記録主義という考えをせめてオリンピックでは変えないと、極端だろうが上記○国(旧ソ連も同様だったらしいが)のようなやり方を防ぐことができない・・・

あまり知られていない発展途上国から世界では名もない選手がポッと出てきて快進撃!
というような、「おおおお!」という驚きと喜びもなくなる。




気を取り直して。
私が言いたいのは、どこの国でも参加できて、且つ二番手でも三番手の選手でも参加できる体制を残して欲しい、と言うこと。

オリンピックはお祭りなんだから、すべての国の人が勝ち負けは別として参加できるようにしておくべきではないのか。
予選や試合に時間がかかるというなら、ランキングで参加国を絞るのではなく他の方法を考えるべきではないのか。

おまけにランキング方式は一人の人間にものすごいプレッシャーが行く。
ランキング方式で絞られ参加可能になった選手だと、今回の日本女子マラソンのように、故障があっても言い出せない、無理して出場して自分を傷つけ更に批判をも浴びる。
そういう事にならないのか。
己が無理と思ったら、メダルはどうであれ後進に出場を譲るのもありではないのか。



参加することに意義がある

とは近代オリンピック創立者のクーベルタン男爵の言葉

メダルが狙えなくても、自国の選手が出場して世界的な選手と共に競技する姿を応援できなくなるのか?


スポーツ振興という謳い文句はどこへいった。



競技レベルを高水準に保ちたいなら、誤審判や運営側の人間のミスを正す方が先だろう。




今回のランキング方式導入記事を読んだ時、何故かずっと以前にTV番組で見たこのストックホルム大会開催55周年記念時のエピソードを思い出した。
記録にこだわるのなら、金栗選手の話は単なるストックホルム側の自己満足の余興話。

人は感動したいのではないのか。
「スポーツの祭典」という名にふさわしいのは何なのか。


ラベル:オリンピック
posted by 葉山猫 at 11:39| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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