2009年02月21日

千の風

歌も時と場合によっては省エネでと思ったgremz発芽150日目

いきなりですが(笑
今、日本で「千の風になって」と知られている曲を、911報道番組で初めて聞き、アメリカ人?女性が歌う歌が流れ、歌詞がテロップで流れた時には、
「おぉ、いいじゃないの!」
と普段私が死というもの、亡くなった方に関して思う事が正に詩になっちょる!と驚き、喜んだものでした。
全部の詩と歌全部をちゃんと聞きたいなぁと思ったものでした。

それから程なくして、「千の風になって」という曲を秋川雅史バージョンで初めて聞いた時、楽しみにしていたにも関わらず、背中をよじりたいような、なんというか「ぃ゛ー」という心地悪さを感じました。

特に「私は死んでなんかいません〜」という部分のおさまりの悪さ。
正直言って「うぇ〜〜」となるくらい、イ ・ ヤ です!(爆)

訳語?自体の「なんかいません」という言葉にも何か抵抗を感じるし、早口になる曲への乗りの悪さも私には大×です。
「死んで」という口語??も違和感を感じます(笑

死んでる事は死んでるだろうに!
とつっこみを入れたくなる程です(爆) ← あまのじゃく

それからは何度聞いても嫌悪感が募るばかりだったので、秋川雅史が出るだけで拒否反応が出るくらいで^^;、ましてやこの歌を歌うとなると前奏が演奏されるかされないか位のタイミングで即行チャンネルを変えてます(笑
正直言って、怒られるのを覚悟で言えば、この秋川雅史バージョンを「いい!いい!」と言っている人が大勢いると言うのが信じられません。
いわんや、毎日かけて聞いてます、とかいう人(のコメント)が多いので、毎日こんなの聞いていて精神状態だいじょぶか?
と言いたくなる位です。(ぉぃぃぃいいい
まぁ・・・最近大事な方が亡くなられたとか言うなら分かりますけどね。
それ以外で曲と詩自体がいいと言って聞くのは・・・(大きなお世話


でも、「初めて」英語で聞いたときのあの「おぉ!」という感情があったので、原詩はどうなの、曲は一体どうなってるの、と思っていた所、今朝なんでか知りませんが^^;、調べてみる事にしました。

すると、元々海外ではこの詩はとても有名で死者哀悼の場面とかで朗読されるようですね。(この部分は聞いて知っていたけど)
作者不詳と言われながら研究もされていて、Wikiによると1932年頃、Mary Fryeというアメリカの主婦が友人の母が遠い母国で亡くなったのに母の元へ行く事ができない、と悲しむ友人を慰めるために茶色い紙袋に書いた、のが始まりと言うのが有力のようです。

以下にその原詩だと言われているものを載せますね。

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there. I do not die.

それでどうもあちこちでいろいろなバージョンで語り続けられている(歌とは限らない)元にされたのは、この詩を送られた家族がはがきに印刷して配った以下の短いバージョンのようです。

Do not stand at my grave and weep
I am not there; I do not sleep.
I am a thousand winds that blow,
I am the diamond glints on snow,
I am the sun on ripened grain,
I am the gentle autumn rain.
When you awaken in the morning's hush
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there; I did not die.

んで、Wikiにある日本語訳例も載せますね。
わたしのお墓に佇み泣かないでください
わたしはそこにはいません、わたしは眠りません
わたしはふきわたる千の風
わたしは雪上のダイヤモンドのきらめき
わたしは豊穣の穀物にそそぐ陽光
わたしはおだやかな秋雨
あなたが朝の静けさの中で目覚めるとき
わたしは翔け昇る上昇気流となって
弧を描いて飛ぶ静かな鳥たちとともにいます
わたしは夜に輝くやさしい星々
わたしのお墓に佇み嘆かないでください
わたしはそこにはいません、わたしは死ななかったのです

どうも私にはやはり最後のI do not dieの訳が納得できませんが(笑
直訳ですからこれはこれなのですけど。

で、塩谷靖子さん(ソプラノオペラ歌手)と言う方もこの原詩を訳し、曲をつけて歌ってらっしゃる(このブーム以前に)ようで、その方の歌詞は以下になります。
泣かないでください 私のお墓で
そこに私はいません
千の風になり
ほら 私は吹き渡っているのです

泣かないでください 私のお墓で
峰に降る雪になり
またたく星になり
ほら 私は輝いているのです

降り注ぐ日差しになり
林の雨になり
あなたが目覚める朝 私は
ほら 小鳥とたわむれているのです

泣かないでください 私のお墓で
眠ってなんかいません
千の風になり
ほら 私は吹き渡っているのです

泣かないでください
私の願いなのです

で、秋川雅史Verの方は以下かな?
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

あの大きな空を
吹き渡っています


私としては、塩谷靖子さんの歌詞の方が好きです。(笑
(曲はともかくとして)


私の感覚ですが、秋川雅史Verの詩は、死者が生者に能動的に関わってます。(目覚めさせる、見守るとか)
でも、塩谷靖子さんの方は原詩に近く、亡くなった方はそこここにいるけれども自由です。
あくまでも自由で、ただ、そこにいますよ、あなたの周りのどこにでもいますよ、いろいろなものと共に一緒になって
という感じなのですよね〜〜・・・

亡くなった後まで縛り付けるなよ、と・・・(爆)
確かに見守ってて欲しいと思いますが。
でも、なんか違う・・・
生者の勝手みたいで・・・
生きている人間に縛り付けているようで・・・

ただ単に、
そこにいるんだね(そこにいるのかも知れないね
ここにもいるんだね(ここにもいるのかも知れないね
一緒に歩んでいるんだね(でも自由になっていろいろなものを見ているんだね
という感覚の方が「私は!」好きです。 ・・・・ わっはっはっは^^;

私が死んだら自由にさせてくれ!(大爆)

まぁ・・・
こういう追悼(文)ってのは、あくまでも生者が生者を慰めるためのものですから、しょうがないっちゃしょうがないんですけどねぇ・・・


なんて言いながら、更に秋川雅史バージョンはなんで嫌いなのか(しつこい)、ぐちぐち考えながら調べていると・・・
秋川雅史Verの「元」の作詞作曲した方の新井満さんのバージョンも視聴(一部分)できました。
すると・・・

まったくニュアンスが違う!

もっと優しい感じで、素朴な感じなのですよ。
あくまでもシングルリミックスの出だしを聞いただけですが、あまり(ほとんど)嫌悪感を感じなかった。


うーむ。


結論。


秋川雅史Verは堂々としていすぎる!
情愛が感じられない!
声が単にオペラ発声なだけ!(ぉぃ
髪型がイヤだ。(ぉぃぃ
ボタンはずしがにやけてる!(ぉぃぃぃいい
どうだ!と言わんばかりの顔つきがイヤだ!(こらーーーー!


^^;
私のブログだもんね・・・^^;
いいよね^^;
でも一応謝っておこう^^;
ごめんね^^;

塩谷靖子バージョン
新井満バージョン



「王様」がアンサーソングを作ってるようです(笑

怒られそうです(笑



こっちゃの方が好きだったり。(爆)


posted by 葉山猫 at 12:50| ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
葉山猫さん こんばんは

おいらは王様のギターソロがゼップの「天国への階段」で始まったのを聞き逃しませんでしたぜ!(笑)

千の風も葬式も残された者のイニシエーションなんですね。
現実を受け入れる為の。
でも実際は残された家族、まして喪主としたらばこんな歌は聴いてられる訳もなく、てんてこ舞いです。
斎場で葬儀屋さんに聞いたのですが、流すのはクラシックのみ。
こんな直接的な表現のものは避けるとの事で、それぞれの個人の心に留めといてくれという意味合いで言ってました。
そりゃそうだわさ、大合唱でも始まったら大変ですものね。
そんなだから「わたしの〜、おなかのう〜え〜で〜、はかないでください〜」(byタモリさん)てな突っ込みもある訳です。

仏教の教えには死後にお釈迦様の弟子になるという考え方が有りますが、そんなものは死んでから学べば良いもの。
僧侶でもない一般人は、生有るうちは「生きてなんぼ」であるのだから、生きる事に精一杯になってれば宜しいのだと思うのであります。
そんな意味で、この歌に癒されてるというのはメディアに犯された証拠であり、聞く側の思い込みであって、また「生きる力が弱くなってる」という事なんでしょうね。
日本語の歌詞、確かに秋川バージョンはくどいですね。
他に対訳が有るとは知りませんでしたが。

僕はあと10年したらば葬式を出そうと思ってます。
娘に面倒を掛けるのも嫌だし、生前葬でストーンズやゼップを流しながら「じゃあね、バイバイ」というのが理想です。
てかぁ、本当の最後は静かにして欲しいなと。

近々一周忌でやんす、、
Posted by Cyber at 2009年02月21日 23:16
>現実を受け入れる為の
そうなんですよね。

直後はとても何かをしみじみとするなんて事はできません。
時間が大分過ぎて自分の生活も平常に戻り、そして何かのおり、なんでもない事でふっとその人を必要とした(思い出した)時、うわぁーーと来るのですよ・・・

>生有るうちは「生きてなんぼ」であるのだから、生きる事に精一杯〜
耳が痛いです。
精一杯生きてないです・・・
私は確実に「生きる力が弱くなってる」ます・・・
何の楽しみもないんですもの。
刹那的な楽しみは有りますが、自分の為にも誰かの為にも何かをしよう、してあげたいと思う事がありません。
このまま、ふっと消える事ができても文句はないのじゃないでしょうか。
片付けに来た人に対する後の恥かきが怖いですが(爆)
ってこんな欲(恥をかきたくない)があるうちはまだまだ生存欲があるのでしょう^^;

私は葬式も何もして欲しくないです(笑
思い出してくれなくても良いです(爆)
どうせ子供もいませんし、順番で行けば(こら)母も先に逝きますし、妹は・・・
妹はたまに思い出してくれるかも知れませんが、強制はしたくないです。(笑
彼女にも平常の生活があるのだから普通に生活して欲しいと思いますね。
って思い出されたら腹たてられるかも知れませんので(爆)、平穏な生活を保ってもらえばそれが一番です(笑

ただ燃やして砕いて下水溝に流されてもかまいません。
私は何も感じないから(笑
ただそうは言っても、死亡手続き?やら燃やすにしてもお金と手間を誰かにかけるんですよね〜
樹海に消えてもやっぱり誰かの手をわずらわせるし・・・

死期を悟った野良猫のように消えるってのは、人間にはできなさそうですねー

おっとっとっと・・・
どうした私!(爆)
Posted by 葉山猫 at 2009年02月22日 12:02
あ、書き忘れた!

王様のアンサーソング、聴きなおしてみると実に良いです。

PV見てて思ったのですが、「小さい頃」から先祖のお墓参りに折々に連れて行ってると、今のような風潮って軽減できるんでは、とふと思いました。
最近事件を起こす子供(大人もか・・・)は、自分の前に人がいる、自分の後にも人はいる、自分は自分だけでこの世に存在しているのじゃないとか言うのをなんとなく感じるものがお墓参りというか、家族の故人を偲ぶって事じゃないのかなぁ、と。

先のコメントの個人的な思いと大いに矛盾しますが、「お墓」という形あるものでしか「死」というものを教育できませんよね。
死に際に立ち会ってもそれを理解できる年齢になってないとできないですからね・・・
Posted by 葉山猫 at 2009年02月22日 12:12
葉山猫さん たびたび(^^;)

決めた!
火葬場ではPerpleのBurnを流せと遺書に書いておきます。
火力全開ニトロ注入、赤子泣いても蓋取るな。
斎場には紫のスモーク出せ!
メタル葬ウェルカム、真っ白に燃え尽きるんだ、ジョー!

>って思い出されたら腹たてられるかも知れませんので(爆)
今、正に僕の心境ですね(爆笑)
罰当たりでしょうけど、そのために死にかけたのだから毒づいてやる(笑)

>「お墓」という形あるものでしか
お墓はあくまでスピリアチュアルなものであって、残された者の為の場所です。
人の死はあっけないもので、やり場の無い悲しみを置いて来る場所なんだそうです。
なんとも辛気臭いですね。
僕は酒持って来て宴会やって貰う方が気が楽です。
死んだんだから幾らでも飲めるし二日酔いにもならないし(笑)

>死期を悟った野良猫のように消えるってのは、人間にはできなさそうですね
でも僕は今そうしたいです。
もう、毎日がめんどくせぇ〜になってますから。
永眠と言わずとも、一日5〜6時間は変な夢を見ずに(苦笑)眠りたいです。

と、言いつつ、「ムッシュかまやつ」のように(さん付けでなくてもムッシュが付いてるから失礼にはあたらない)70になっても弾けてる人生も素敵ですね。
この間まで、尊敬する人「大竹まこと」さん、人生の目標「高田純次」さんでしたが方針変更です(笑)

>最近事件を起こす子供(大人もか・・・)は
これは難しいんじゃないですか?
「お爺ちゃん、石になっちゃったの」が率直な感想でしょう。
僕は「人は死ぬと石になる」と、鬼太郎の影響も有って思ってましたから。
出来る事ならですが、亡骸を目の当たりにさせ、触らせる事です。
笑いもしない、喋りもしない、何の反応もしない骸を最後の教材にして、暖めてくれた手がこんなにも冷たいものなのかと体感させてやる事が一番かと。

なんか際限の無いテーマですので、この辺で逃げます。
Posted by Cyber at 2009年02月22日 13:23
随分と古い記事ですが、もう一つの千の風があると知り検索してたどり着きました。
あまり情報が無いので、参考になりました。ありがとうございます。

私の感想も似ているのですが、秋川さんの方の歌詞は
「風になって貴方の回りを吹き渡っている」
縛り付けているというより、死者が死してなお寄り添ってる感じでしょうか。
死者にも意志のような物があるかのような感じでしょうか。

塩谷靖子さんの千の風は、死して自然に帰っていった
自然は貴方の回りに溢れている、自然と人はいつも寄り添っている
だから悲しまないで欲しい。そんなイメージに受け取りました。

秋川さんのは、死んでも個(意志)のような概念が存在している居る感じ
塩谷さんのは、自然から生まれ自然に帰り個はもう存在していない感じ。

比較すると私も塩谷さんの歌詞の方が深く感じ好みです。
曲としては、視聴した範囲では秋川さんの方が好みかもしれません。
そんな感想でした。
Posted by at 2015年04月17日 10:21
古い記事をお読みなってくださりありがとうございます。
少しでもお役に立てればうれしいです!

Posted by 葉山猫 at 2015年07月31日 08:39
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