2010年01月22日

おセンチ

二本目gremz発芽199日目

前にも記事にしたかも知れないのだけど・・・
(題名を出しているは確か)
前から最近どうも時系列や何かをしたかしなかったかがあやふやである。
困ったもんだ。(他人事


洒落にならない怖い話

「心霊ちょっと良い話」
がある。

その中の「山祭り」がとても良い。
とても好きな話だ。
時々無性に読み直したくなる時がある。
書きこんだ人の文章も上手いからだろか。
低く落ち着いた男性の声が聞こえて来るような気がする文章だ。


以前このサイトに触れた時、読み始めたばかりの私は皆体験談だと思い、創作がかなりのウェートを占めているとは思ってなかった。
お恥ずかしい。

これに良く似たお話はちょくちょく聞いた事がある。
もちろんシチュエーションは違うけど。

誰の心の中にもこういう体験をしたい。
もしくは、
こういう事だったのじゃないの?
と思いたい部分があるから、と思う。
真実の体験談なのか、それとも創作なのか。
これに関してそれを問うのは野暮と言うもの、か。

特に
私はお話中の謡がとても心に残った。
実際に縁の神社、お寺の結界内でこの謡が流れたら、なんとも言えない心持になるのではないか。
お能の「鞍馬天狗」の中の謡曲らしい。


季節外れの怪談。
誰か声が良く、話のうまい落語家が高座にかけてくれないか。
お楽しみを。

山祭り

683 本当にあった怖い名無しさん sage 2005/08/11(木) 21:04:07 ID:g8BCG55k0
またまた>>618のコピペ隊です。怖い話ばかりだと後ろを振り向けないので良ければ気晴らしにどうぞ。

100 :N.W:2005/07/25(月) 07:06:10 ID:CFXfTZUN0
久しぶりに休みが取れた。たった2日だけど、携帯で探される事もたぶんないだろう。
ボーナスも出た事だし、母に何か旨いものでも食わせてやろう。そう思って京都・貴船の
旅館へ電話を掛けてみた。川床のシーズン中だが、平日だったから宿が取れた。
母に連絡を取ると大喜びで、鞍馬も歩いてみたいと言う。俺に異存はなかった。
京阪出町柳から叡山電鉄鞍馬駅まで約30分。その間に景色は碁盤の目のような街中から
里山を過ぎ、一気に山の中へと変化する。また、鞍馬から山越えで貴船へ抜けるコースは、
履き慣れた靴があればファミリーでも2時間前後で歩く事が出来るし、日帰りなら逆に、
貴船から鞍馬へ抜け、鞍馬温泉を使って帰る手もある。
その日もさわやかな好天だった。荷物を持って歩くのも面倒なので、宿に頼んで預かって
もらい、それから鞍馬山へ行った。堂々たる山門を潜った瞬間、いきなり強い風が吹き、
俺を目指して枯葉がザバザバ降って来る。落葉の季節ではないのだが、母とくれば必ず
こういう目に遭う。天狗の散華だ、と母は言う。迷惑な事だ。途中からロープウェイも
あるが、母は歩く方を好むので、ところどころ急な坂のある参道を歩いて本殿を目指す。
由岐神社を過ぎると、先々の大木の中程の高さの枝が、微妙にたわむ。毎度の事だが。
鞍馬寺金堂でお参りした後、奥の院へ向かって木の根道を歩く。
魔王殿の前で、一人の小柄で上品な感じの老人が、良い声で謡っていた。
“…花咲かば、告げんと言ひし山里の、使ひは来たり馬に鞍。鞍馬の山のうず桜…”
言霊が周囲の木立に広がって行くようで、思わず足を止め、聞き惚れた。
最後の一声が余韻を残して空に消えた時、同じように立ち止まっていた人たちの間から、
溜め息と拍手が湧き起こる。老人はにっこり笑って、大杉権現の方へ立ち去った。


684 本当にあった怖い名無しさん sage 2005/08/11(木) 21:07:22 ID:g8BCG55k0
101 :N.W:2005/07/25(月) 07:07:24 ID:CFXfTZUN0
鞍馬山を下り、貴船川に沿って歩く。真夏の昼日中だと言うのに、空気がひんやりして
気持ちがいい。流れの上には幾つもの川床。週末は人で溢れているのだろうが、今日は
そうでもない。少し離れると、清冽な流れの中、カワガラスが小魚を追って水を潜り、
アオサギがじっと獲物を待つ。もう備えの出来たススキが揺れる上を、トンボたちが
飛び回る。
貴船神社へお参りに行く人は多いが、奥宮へ参る人は少ない。その静けさを楽しみ
ながら、奥宮の船形石の横の小さな社に手を合わせる。弟たちも連れて来てやれれば
よかったが、何分にも平日の急な事。学生時分ならともかく、社会人がそうそう手前
勝手な事をする訳にはいかない。母とそんな話をしながら振り返ると、さっき魔王殿の
前で謡っていた老人がこっちへ歩いて来るところだった。軽く会釈すると、向こうも
にこっと笑って片手を挙げる。
「先程は、良いものを聞かせて頂いて、ありがとうございました」
「いやいや、お恥ずかしい」老人は首を横に振り、俺と母を見やりながら
「親子旅ですか、よろしいなぁ。ええ日にここへ来はった。今日は“山祭り”や」
「まあ、お祭りがあるんですか」祭りと聞いて、母の気持ちが弾むのがわかる。
老人が教えてくれる。
「今晩、川床の灯りが消えた時分から、この先の方でありますねん。“山祭り”は
時が合わなんだら成りませんし、ほんまの夜祭りやから、知らん人の方が多いんや。
もし、行かはるんやったら、浴衣着て行きはった方がよろし。その方が、踊りの
中へも入りやすいよって」
母は既に行きたくてワクワクしている。一時、『盆踊り命』だった人だから。
ま、いいか。俺は盆踊りは嫌いだが、仕方ない。付き合うか。


685 3/5 sage 2005/08/11(木) 21:09:05 ID:g8BCG55k0
102 :N.W:2005/07/25(月) 07:12:41 ID:CFXfTZUN0
川筋の道沿いに、黄桃のような丸い灯りが、ぽつりぽつりと点いている。俺たちの
他に、歩いている人はほとんどない。
奥宮へ近づくにつれ、笛の音がどこからともなく風に乗って流れて来た。山祭りは
どうやら、思っていた盆踊りのようなものとは、全然違うものらしい。
奥貴船橋の袂をくっと左へ折れ、山の中へ入る細い道をたどると、笛の音はますます
はっきり聞こえる。曲目はわからないが、ゆったりとしたメロディを、複数本の笛で
吹いているようだ。
やがて、木立の間からたくさんの白い提灯と、その灯りが見えて来た。そこは体育館
程度の広さの空き地になっていて、笛の音に合わせて数十人の人たちが踊っていた。
衣装は白地に紺色の流水模様の浴衣。女は紅の帯、男は黒字に金の鱗模様の帯。
踊るというより、舞うと言った方がいいような優美な動きで、普通の踊りの時のような
賑わしさや、テンポあるいはノリは全く感じられない。
俺たちより先に来て、これを眺めていた隣の人がいきなり駆け出し、踊りの輪の中へ
入って中の人と手を取り合った。知り合いがいたらしい。
前の方から、あの老人が笑みを浮かべながら、静かに俺たち親子に近づいて来た。
「ああ、来はりましたんやな」
「こんばんは。不思議なお祭りですね」
老人は不思議な言葉を口にした。
「あの中に、逢いたい人がいたはりますやろ」
逢いたい人?訳がわからず、ぽかんとする俺。
母が突然駆け出した。
「母さん!?」


686 4/5 sage 2005/08/11(木) 21:11:00 ID:g8BCG55k0
103 :N.W:2005/07/25(月) 07:13:25 ID:CFXfTZUN0
伸ばした手の先に、よく知ってる人がいた。
実家にいる頃いつも見ていた人。写真立ての中で笑っている、俺と面差しのよく似た
青年。俺が2歳の時亡くなった父だ。
まっしぐらに父に向かって進む母を、踊り手たちは空気のようにするりとかわし、
何事もなかったかのように踊り続ける。
一足ごとに母の時間が逆戻りする。わずか3年余りの妻としての日々と、その何倍もの
母としての時間。今、父の手を取りながら、母は堰を切ったようにしゃべり続け、
父は黙って微笑みながら、時折相槌を打っている。二人の間に涙はない。何を話して
いるか、俺には聞こえないが、きっと言葉で時間を溶かしているのだろう。
時を越え、両親は恋人同士に戻っている。初めて見る両親の姿。ああ、父はあんな風に
笑う人だったのか。母はあんな風にはにかむ人だったのか。これだけの歳月を隔て、
まだ惹かれ合う二人に、思わず胸が熱くなる。
父に誘われ、母が踊りに加わる。なかなか上手い。本当に楽しそうに踊っている。
俺の頭の中で太棹が鳴り、太夫の声が響く。
“…おのが妻恋、やさしやすしや。あちへ飛びつれ、こちへ飛びつれ、あちやこち風、
ひたひたひた。羽と羽とを合わせの袖の、染めた模様を花かとて…”
両親の番舞をぼーっと眺めていたら、ふと俺の事を思い出したらしい母が、父の手を
引いてこっちへやって来た。ほぼ初対面の人に等しい父親に、どう挨拶すべきか。
戸惑って言葉の出ない俺を、おっとりとした弟と雰囲気の良く似た父は、物も言わずに
抱きしめた。俺よりずいぶんほっそりしているけれど、強く、温かい身体。父親って
こんなにしっかりした存在感があるのか。
「大きくなった…」万感の思いのこもった父の言葉。
気持ちが胸で詰まって言葉にならない。ようやく絞り出せた言葉は「父さん…」
「うん」
優しい返事が返って来た。もう限界だった。俺は子供のように声を放って泣いた。

687 5/5 sage 2005/08/11(木) 21:12:28 ID:g8BCG55k0
最後です。

104 :N.W:2005/07/25(月) 07:14:42 ID:CFXfTZUN0
母の事を笑えない。気が付けば、俺は夢中で父に、友人の事、仕事の事を一生懸命
話していた。今までは、そんな事は自分の事だから、他人に話してもわかるまいと
思い込み、学校での出来事さえ、必要な事以外は母に話さなかったのに。
父の静かな返事や一言が嬉しかった。子供が親に日々の出来事を全部話したがる
気持ちが、初めてわかったような気がする。
俺の話が一段付いた時、父は少し寂しそうな顔をした。
「ごめん。もっと一緒にいたいけど、そろそろ時間みたいなんだ」
時は歩みを止めてくれなかった。でも、嫌だと駄々をこねたところで詮無い事。
大事な人に心配をかけるだけ。ああ、わかっている。笑って見送ろう。
「口惜しいよ、おまえたちの力になってやれなくて…」
「大丈夫、任せろよ。俺がいる。」
長男だもの。俺は親指を立て、父に向かって、偉そうに大見得を切った。
安心したように頷く父に、母がとても優しい眼差しを向け、父が最上級の笑顔を返す。
「…じゃあ、そろそろ行くよ」父は、踊りの輪の方を向いた。
「父さん」呼びかけずにはいられなかった。
父が振り返る。
「俺、二人の子供で良かった」本当に、そう思った。
父は嬉しそうに笑い、そのまま煙のようにすうっと姿を消した。
母はしばらく無言で父が姿を消した辺りを見つめていたが、やがて諦めたように
首を振り、「帰りましょう」と俺を促した。

翌朝、まだ眠っている母を部屋に置いて、奥貴船橋の袂まで行って見た。
昨夜の、橋の袂をくっと左へ折れ、山の中へ入る細い道は、やっぱりなかった。
あの老人が言っていた。“山祭り”は、時が合わねば成らないのだと。
それは俺たち親子が見た幻だったかもしれない。
でも、逢いたい人に会え、伝えたい事を伝えられた。幸せな旅だった。

この部分だけのURLをコピーできなかったので、転載。


ラベル:不思議
posted by 葉山猫 at 01:46| ☁| Comment(13) | TrackBack(0) | 本 活字 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
葉山猫さんこんにちは♪真夜中にごそごそ書いていらっしゃったのですね、内容的に、ぴったりの時間(笑)


私は《にちゃんねる》の中には天才たちがわんさか存在すると確信し、舌を巻く文才、ユーモアに過去何度も出会い、感銘を受けています。

猫さんの嵌まっておられる纏め板、私も是非覗きに行きたいと思います。
このお話を読んで、高田渡氏の【ブラザー軒】と云ふ唄を思い出しました。以下にその歌詞と、高田氏と、唄の原詞の詩人etcについての秀逸なる解説、想い入れを記した文章を拾えましたので、かなり長くはなりますが、コピペさせて頂きました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「ブラザー軒」

東一番丁、ブラザー軒
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん
氷を噛む音。

死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。

色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら。

細い脛だして
細い脛だして
椅子にずり上がる
椅子にずり上がる

外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。

妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。

ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。

簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん
氷を噛む音。

死者ふたり、つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。

ふたりには声がない。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
ふたりにはぼくが見えない。

東一番丁、ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の、向うの闇に。



仙台の七夕祭りの夜のこと。ガラス暖簾の音とキラめく光と影、、シャリシャリと氷をかく音、氷を食べる=食む・・・噛む音。男は大人になって懐かしいその場所を訪れ、昔のように氷水を注文する。昔のようにシャリシャリという感覚は余りなくなってはいたが、都会の「カキ氷」のように、真っ白な雪のようでもない。この店のカキ氷は電動でなく手でハンドルを回すタイプだ。
男は昔のように「せんじ=霙」を注文する。
ガラス暖簾のきらめきの光と音、そして氷を噛み啜る音で、男はその瞬間過去と現実が入り混じる「誘導催眠」=幻視状態となる。

時は昭和の20年代か30年代、終戦後漸く復興の兆が出てきた頃。男は故郷を離れ、東京で暮らしているが七夕に仙台に戻ってきた。
父親は戦争で亡くなり、妹は病死して久しい。

ここ「ブラザー軒」のガラス暖簾の向こうは、死者の世界に通じている漆黒の闇。七夕の夜に彦星と織姫が天空で1年に一回会うことができるように、七夕の夜のこのガラス暖簾は、あの世とこの世を結ぶ年1回限りの通路なのだ。

時代は遡って大正末期か昭和のはじめ、父親はその当時は太っていて威厳があったが、優しかった。妹は体質が弱く病気がちで、いつもメリンスの着物姿で寝たりおきたりしていた。
夏に熱っぽい時には氷水をよく欲しがった。
そんな妹のために父親は、男と妹を連れてこの店に来た。
妹は「イチゴ」を、男は「霙」、父親は黙って「ビール」を飲み、栄養を取らせるために妹にはミルクセーキをさらに注文してくれた。当時のカキ氷は今のように量が多くなかったので、妹は残さずに飲んで食べ満足した様子だった。
父親とは、いつもアレコレ話すこともなく食べ終わると商店街を抜けて家に帰るのだった。

・・・・「誘導催眠」の中でそんな光景がハッキリと目に浮かんだが、ガラス暖簾のチャラチャラという音、そして電燈の光を反射してきらめく光の影、店内のザワザワした音の風景で、催眠から覚醒するのだが、男は30年以上昔の父親と妹の姿を、もう一度ハッキリと目に焼き付けることが出来た、この「仙台、東一番町、ブラザー軒」で、今こうして自分が生きて居ることの、幸せを確認するのであった。自分は父親と妹の「死」の犠牲によって生きている、とさえ思うのであった、そして男は来年も再来年も・・・毎年この時期にここに来ることを心に誓うのである。
高田渡の歌から小生が想起した幻影である。

詩の作者菅原克己(すがわら かつみ)は
1911年宮城県に生まれる。
私立日本美術学校図案科中退。
戦時下、左翼運動や反戦思想のため警察の監視下におかれる。
1951年最初の詩集『手』を木馬社より刊行。
戦後は新日本文学会で活動し、
詩のサークル「P」の主宰者として後進を育てる。
1988年逝去。
生涯に八冊の詩集と一冊の小説・エッセイ集を遺した。

戦中から戦後にかけて市井の片隅に生きる庶民の姿を平明な言葉で生き生きと活写した詩人。数多くはないがいまも熱烈なファンをもつ。彼の記念日を「げんげ(れんげ)忌」といい、高田渡も生前出席して歌を歌ったそうである。

なぜか、大林宣彦監督, 山田太一原作の映画「異人たちとの夏」を思い出し、もう一度見たくなった。
映画は男がある夏の日、迷い込んだ地下鉄を上がると、地上には昭和中期の世界が広がっていて、死んだ両親と再会し短いひと夏を一緒に過ごす・・というもの。
この映画では「すき焼き」を親子で食べるシーンが印象に残る。




by noanoa1970
(2006/04/23 )


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ちょっと取り留めも無くコピペしてますが、このエッセイ自体が素晴らしいので、ご勘弁を
m(_ _)mゴメンネゴメンネー


高田渡氏は私にとっても青春時代から好んで歌ったフォークシンガーでしたが、
最後にお会い出来たのが京都の円山音楽堂でした。
当時私がサポートしていたフォークバンド【バラーズ】も、主催者側の要望で、錚々たる大御所に混じってステージに上がる事となり、

でも自分たちの演奏なんかどうでも良くて、
必死になってビデオ撮ってました♪(笑)

そして、コンサート終了後『当日の出演者の中で誰が一番光ったか?』と仲間内で話題になり、ほぼ全員一致で『高田渡の唄が一番、特にブラザー軒が印象に残った』と成りました。

呟く様に喋る高田氏のトークも、会場の爆笑を呼び、
仙人の様な風貌と相俟って、あの日あの場にいた全ての観衆を高田渡ワールドへと引き込んだ実力、魅力に、ホント、参加出来て良かった…と、今も思っています。

今回は半端無い長さのコメントとなり、誠にごめんなさい
Posted by 街のクマ at 2010年01月23日 16:44
はい。
真夜中に洒落怖を読んで独りゴソゴソしていたりする葉山猫です(笑

>私は《にちゃんねる》の中には天才たちがわんさか存在すると確信し〜
そうなんですよね。
私も同じ思いです。
サイテーなのも数多くいますが(笑)、頭が良い人だ、とか、センスがすごい!とかハッとする方が想像する以上にいらっしゃいますよね。
彼らは自分の才能に気がついているのだろうか?
周りの人間に、人とは違う印象をうっすら残しながら通り過ぎていき、名も残さず埋もれていってしまう方が多いのかも、と思うと残念です・・・

ところで!
ブラザー軒。
検索して聞きました!
懐かしい、これぞフォークという感じの楽曲ですね。

高田渡さん。
不勉強で知りませんでした。
浅川マキさんのかもめは私の高校生時代のノートにコードがメモってあるのですが・・・

この詩。
読んでいるだけで、正にその情景にタイムスリップしますね。
すごい。

実は私にもかき氷と父の思い出があります。
家族で行く銭湯の帰りに
夏場ならかき氷、
冬場なら1本10円の焼き鳥を父が食べさせてくれた思い出があるのですよ。
いつも食べさせてくれたわけではないので、子供心に父が食べよう、と言ってくれるのがとても嬉しかった思い出です。
更に、父が
「こうすると旨いんだ!」
と、私のかき氷を手のひらでギュッギュッと押し込んで固めてくれたのですが、量が減ったのを見て泣き出してしまった記憶がすぐ蘇ります(笑

私達の世代(?)では、こうした素朴な物事とメロディが郷愁を誘いますが、
時代が変わっても、マニュアル通りに作られたファミレスのメニューやきらびやかなアイドルの歌がちゃんと代わりになってそれぞれの思いをつないで行くのでしょう。

できれば50年後位に思い出の歌特集とか聞いてみたかったり!(笑

>今回は半端無い長さのコメントとなり、誠にごめんなさい
いえいえ!
ここのブログは長文デフォルトなので無問題です!(爆)
Posted by 葉山猫 at 2010年01月24日 12:35
再び…遊びに来ました
(^^)v
葉山猫さんの貴重なる《御幼少の想ひ出》

>>家族で行く銭湯の帰りに
夏場ならかき氷、
冬場なら1本10円の焼き鳥を父が食べさせてくれた思い出があるのですよ。
いつも食べさせてくれたわけではないので、子供心に父が食べよう、と言ってくれるのがとても嬉しかった思い出です。
更に、父が
「こうすると旨いんだ!」
と、私のかき氷を手のひらでギュッギュッと押し込んで固めてくれたのですが、量が減ったのを見て泣き出してしまった記憶がすぐ蘇ります(笑




…『あると思います』(by某詩吟家 爆)
家族は良かれと思ってしてくれた事…子供には『要らん事』に感じる場合


私の御幼少の頃(ぉいっ!)普通程度に貧乏で、滅多にしか行かない外食、
父が『何でも好きなもの注文しぃ』と言っても、「カレーライス」としか言わなかった私に、
少し(外聞が悪いわなぁ?)って後で言われて、
(ふーん、そんなものかな?)って、、、後々、小学校高学年になり沢山頼む悪賢い奴になると…
益々外食の機会は減りまして
ヾ(^_^;
つくづく最近思うのですが…やっぱり見栄っ張りだったのネ
と(爆)


同じくノスタルジックな詩ですがこちらは如何でしょうか?


「夕暮れ」  詩 黒田三郎

夕暮れの街で
僕は見る
自分の場所からはみ出てしまった
多くのひとびとを

夕暮れのビヤホールで
彼はひとり
一杯のジョッキをまえに
斜めに座る

彼の目が
この世の誰とも交わらない
彼は自分の場所をえらぶ
そうやってたかだか三十分か一時間

夕暮れのパチンコ屋で
彼はひとり
流行歌と騒音の中で
半身になって立つ

彼の目が
鉄のタマだけ見ておればよい
ひとつの場所を彼はえらぶ
そうやってたかだか三十分か一時間

人生の夕暮れが
その日の夕暮れと
かさなる
ほんのひととき

自分の場所からはみ出てしまった
ひとびとが
そこでようやく
彼の場所を見つけ出す

…ん〜〜〜っと、この後に続くコピペが何処かへ行ってしまったかも(汗)

今はパソコンとネットが有れば、かなりの事が学習できますが、
それを上手に利用出来る方と、
全くの《情報弱者》な方に二極化していますよね?

私は《情弱》側です…ってか、ただの《ぉパカ》
?(。_゚)?


五十年後の個人的な懐メロ調査…多分百五才の私は、この世からは去っていますので、
十年後位で勘弁して下さ〜い

尚、私はパチンコを疎ましく感じます。
私の近しい者たちが、パチンコと云ふ魔物に人生を振り回されていて、
上で紹介した詩の様に
《たかだか30分か1時間》位では到底済まず、
金が続く限りオープンからクローズまで…パチンコの奴隷になったりしているので…

同僚のFさんは、その最右翼で、給料を全部吸い取られるので、見かねた上司が強制的に数万円を徴収し、半月後を目処に返してあげたり、
Aさんは、ギャンブラーで、競馬等で勝っている時は数十万持っていたりするのに、
知らぬ間にパチンコでスッテンテンになっていて、
呑みに誘う時は、大概は私の奢りになって来て、
最初の頃はフィフティ・フィフティだったのに…情けない。
それより何より私の両親がパチ中なのが最も嫌なんです。

もう死ぬまで治りません。ただ、八十にして自力で歩ける事は喜ばしい事なので、
それがパチンコの御蔭なら、感謝…なんかなぁ?(パチンコに行く金が無いと寝てばかりですから)

人生の夕暮れを、心穏やかに、仏の様に尊敬出来る…そんな両親には…


ならんわなぁ…


そして…



『この親にしてこの子有り』な私です。
Posted by 街のクマ at 2010年01月24日 14:42
いらっしゃーい!(笑

カレーライス!
私も滅多に行かなかった外食の折、常にこれでした!
妹は常にざる蕎麦!(笑

あれ?
今考えると、カレーライスって・・・
昔はご馳走じゃなかったです?
今ほど市販のカレールーの種類も多くなく、なんてたってお肉!が入っていて!
お味噌汁と多分野菜の煮物と魚系が多かった昭和中盤頃のうちの食卓。
「今日はカレーライスだ!!」
って喜びの気持ちがあったような・・・(笑

50年後は多分私もいないでしょう(笑
うちのお墓も永代供養料を納める人が残っておらず、取り壊されている可能性大です(爆)
イインダヨ。狭いニッポン、土地は再利用しないとネ!


夕暮れ・・・
うーーーーー
と言いたくなります(笑
夕方地域によって放送で流される「家路」。
もしくは小学校で下校を促す時の曲。
を聞く時の心持ちになりました。
物悲しいデス(爆)


パチンコ・・・
旧相方がパチンコ、パチスロが好きでねぇ・・・
私は付いて行っても普段はせずに適当にウロウロして時間をつぶしていました。
空いている時は隣に座って、リーチ?がかかった時の音を声真似して相方を笑わせて遊んでいましたねぇ・・・
はたから見たらアブナイオバサン・・・
500円位で毎回出たら、毎日通って”やっても”いいんですがねぃ。

歩くことは良い事らしいですヨ。
うちの母は82歳ですが、めっきりダメです・・・
同居してからベッドから落ちる事2回。
家中で転ぶ事2回。
庭でこける事1回。
外でこける事1回。

何か楽しみがあって歩く事をいとわないってのは大事そうです。(急に真面目
おまけに動体視力と瞬時の判断が要され、鍛えられる!
ボケ知らず!
負けなければ真に良いご趣味かと・・・(爆)

あ。
エコノミー症候群だけにはお気をつけて。(笑


って。
私も母の事言えませんし、よそ様の事も言えません。(爆)
できれば陽射しが燦々と輝いている時に死にたいかな、と思う位です(笑
除:砂漠での野垂れ死に
Posted by 葉山猫 at 2010年01月24日 15:51
些細な訂正を。

旧相方
と書きましたが新はいないし作る気もないので、元、と書くべきだったのかしら?

ま。
どーでもいい事なんですがっ!(`・ω・´) =3
Posted by 葉山猫 at 2010年01月24日 16:00
余りの可笑しさに(これ以上葉山猫様のおうちに邪魔してはイケナイ)と自制する声にも耳貸さず(爆)
『来たっちゃ♪』(と、ラムチャンもどきの媚態)
(*~ρ~)ゴメンネゴメンネー



お母様大変で御座いますね?骨折とか無い様にプロテクター装着とか真剣に検討される時期に来られていますね?

それは、世間一般の認識とは全く違うのでしょうが、
二、三年前に行きつけの店の主人一家と、出入りしていた客仲間とで、奈良の山中のバンガローに遊びに行って、
そこの遊戯施設で遊ぶ話が出て…
成り行きでローラーブレードなるものを初めてやった時の事。

坂道に差し掛かった時、余りにも見事にひっくり返ってしまい、一同が驚いて駆け付けて来ました。
幸いヘルメットとレガース類を完全装着していた為、
怪我はしなかったものの、もう一度コケたら(柔道二段なのに)流石に内臓に悪いと感じて、
止めましたもん。
(;TДT;)ぁあ爺ぃ也


葉山猫さんは、少なくとも精神的には(コラコラ!)とてもお若いので、
このまま朽ち果てて行かれるのは(コラコラ!(^_^)-c<T_T)キュゥ)

誠に勿体ないなぁと♪

お近い距離なら私が《新相方》に立候補したい位です。
(*^_^*)マジ

あのぉ…p様よりは精力強いですょ?(超爆)
Posted by 街のクマ at 2010年01月24日 17:52
何故かコメント後半の一部が反映されかったです。
そこから先を再度…

葉山猫さんは、少なくとも精神的には(コラコラ!)とてもお若いので、
このまま朽ち果てて行かれるのは(コラコラ!(^_^)-c<T_T)キュゥ)

誠に勿体ないなぁと♪

お近い距離なら私が《新相方》に立候補したい位です。
(*^_^*)マジ

あのぉ…p様よりは精力強いですょ?(超爆)



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

少し前からコピペしました。
Posted by 街のクマ at 2010年01月24日 18:40
↓すぐ下のコメント一つ、御面倒をおかけしますが削除願います。

こちらのブログでは、ある半角記号の組合せにより、それ以降のコメントが省略されるコマンドが有効になっていたのを思い出しました。
それは
<とTの組合せかと推測します。
再度半角小文字の部分を弄ってからコメ続けてみます。
└|∵|┐♪┌|∵|┘└|∵|┐♪┌|∵|┘

このまま朽ち果てて行かれるのは(コラコラ!(^_^)-c<T_T)キュゥ)

誠に勿体ないなぁと♪

お近い距離なら私が《新相方》に立候補したい位です。


あのぉ….某悪徳p様よりは精力強いですょ?(超爆)



わざわざシャカリキにならなくても良い内容にがっかり?
Posted by 街のクマ at 2010年01月24日 19:17
あはははは!
すいません。
爆笑してしまいました。

それにしても文字の組み合わせで無効コマンド。
知りませんでした。

精神的には若いと自分でも思ってます。(`・ω・´) =3
なんせ生まれてから半世紀以上経ったとは、自分で信じられておりません。はい。
でも最近、知らない子供に何か言う時に自分を指して
「このオバサンにも」
と形容するようになっていましました・・・

子供だけだったら、どんなにいぶかしげな顔をしても目を見据えて
「このおねぃさんにも」
と言ってやるのですが、近くに必ず「若い」母親がくっついてますからねぇ・・・
『(内心の声)おねぇさんだって・・・(プッ)』
とか思われるのが悔しいので(妄想全開)
「おばさん」と形容してやっております。

って段々お○さんとお○さんの茶飲み話化してきましたね!(爆)
Posted by 葉山猫 at 2010年01月24日 22:38
>>段々お○さんとお○さんの茶飲み話化してきましたね!(爆)

◯の部分に漢字一文字をそれぞれ当てはめて正解を…

爺&婆→×論外(-"-;)

兄&姉→◯(*~ρ~)

じ&ば→認めたく無い
ヾ(^_^;
Posted by 街のクマ at 2010年01月25日 15:17
爺 婆 ( ´ー`)y−~~
Posted by 葉山猫 at 2010年01月27日 01:25
葉山猫さん、、、
せめて二人並んでたら
『ジョージ&バーバラ♪(じぃじとばぁばの訛り)』
と呼ばれる、格好良いシニアでいようと…
(^^)v


尚、過去記事に感想をチョコチョコ書いてるのは、基本的にお返事無用に願います。
書かない積もりだったのですが、余りにも面白い記事が多いので…

たまたま今の時期が、自分の仕事の過渡期みたいなもので、
決して葉山猫さんのストーカーになった訳ではありません(爆)
Posted by 街のクマ at 2010年01月28日 08:13
こんばんは!
ちとばたばたしておりました!

古い記事を読んでくださったのだなぁと嬉しく思ってます。
ありがとうございます<(_ _)>

って古い記事は、鼻息ばかり荒く書いてるので(今もですが)自分でも恥ずかしいですヨ

>ジョージ&バーバラ
はっつぁんくまさんの くまさんと
ばけべそ
が近いようなっ!

失礼しました<(_ _)>
Posted by 葉山猫 at 2010年01月29日 00:25
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