2008年04月29日

死刑というもの

今朝、寝床の中からテレビ朝日の番組を見ていた。

すると、ある死刑囚の最後の72時間という音声テープを報道していた。
意図は、数ある死刑執行の一つの例として死刑を考える材料として欲しい、という様なものだった。

テープの内容は、深く悔いているらしい死刑囚がお姉さんとの涙ながらの最後の面談、執行部屋に至る道で他の死刑囚から送られる様子(励ましや歌)、死刑囚に対する温情あふれる刑務官の様子。

等であった。


それを見た上で、いわゆるコメンテータのコメント、というか、死刑存続論者(大沢弁護士)と死刑撤廃論者(作家:若一光司)が考えを述べていたが・・・


なんか、若一光司の言っている事は机上の空論?、なんて言ったら良いのか、物分りの良さをアッピールするためのポーズという匂いがしてたまらなかった。

まぁ、そもそも私の考えと相反する意見をお持ちの方だから、反発を感じるのは当たりまえなのだが、それでもつっこみどころ満載と言うか。


曰く、
「憲法第三十六条によって、公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずるとされている。死刑とういうのは残虐な刑罰でしょう。それをやっているという事は憲法違反だ」
と仰りたいらしい。


違うんでないの?


上記が言いたいのは、同じ音でも私刑、リンチを加えるな、って事でしょ?
今の言葉で言うなら、刑務官(公務員)の立場を利用して、パワハラ、セクハラ、過度な体罰を行うなって事でしょ?


法律で存在する「死刑」があり、裁判で決められた「死刑」を実行するだけの人間に向かって、その人間が公務員でそもそも憲法違反だから、死刑は間違ってるってのは、なんか言っている事をこねくり回しているだけのように思えるなぁ。

それに、死刑が残虐、と言っていたが、殺された側の状況は?
残虐でないと言うのだろうか?
後ろから刺されたりして即死で、何が起こっているか分からずにあっと言う間に殺されたのならまだ救いはあるが(ほんとはないですよ)、殺された側の苦痛、恐怖、絶望感というものは、どんなころされ方をされようとも筆舌に尽くせないものだと思うけど。
どちらが悪い事をしたのか分からない事を言うなぁ。


又、死刑と有期刑(無期懲役)の間がありすぎる。終身刑というものを考えては、という提案が有る。
等も言っていた。



大沢弁護士が言っていた内容の方が、断然頷ける内容だったなぁ。

・ある国の刑罰というのは、その国の民族の文化、歴史からきている。
日本人のメンタリティには、命を持って償う、という意識がある。
・ある事をしたら、それに見合った償いをする、という考えが日本にはある。
悪い事をしたら、こうですよ、という教育を子供にしているじゃないですか。
・教育刑(葉山猫:刑務所内教育、更正施設の事だと思う)と言うものは、服役囚に希望(葉山猫:社会に出てこれる刑罰の場合という意味か)が持てる場合に行うのだ。
教育をして、改心し、社会に復帰でき、貢献できそうだと思うから行うのであって、終身刑の囚人にそれを行うのが適当なのか。
・又、一生飼い殺しで生きろと言う方が、却って残酷な気がする。


双方、他にもいろいろ言っていたが・・・





流されたテープ内容に関しては、
これは、非常に後悔、改心した死刑囚なのだろう
最後も静かに亡くなった様子だし。
(そうでない死刑囚もいるという注釈を司会者も言っていた。)

つくづくと、己が行った事が分かったからこそ、死刑、という自分の命を奪われる行いを(表面的だけとしても)受け入れられたのでは?と私は思う。
(死刑囚の内心に「生きたい」という気持ちがあっても、私はそれを非難するつもりはない。)

この事を、例えば本村さんは言っているのではないだろうか?
胸を張って刑罰を受け入れて欲しい、という発言は?



又、怖れるのは、
この一見(一聞?)感動的な内容のテープを聴く事で、死刑囚に同情を感じたり、死刑囚の縁者に同情するあまり死刑を残酷だと感じたり、また、見送られる時の光景を想像して感動したり、粛々と刑を受ける人間や激励?する囚人に対し、賛辞を与えるのもおかしいと思う。


きつい事を言うが、
この一見感動的なテープの主人公や激励している人間は、「罪」を犯した人間なのだ。
死刑囚が他の軽微な囚人達と同棟?に収監されているとは思えないし(いや、ほんとの建物内の構造は知らないですけどね)。
という事は、送られる方も送る方も、そこにいる理由は、
「人間を少なくとも一人以上、己の都合で殺している」
事で、死刑を言い渡された人間なんだよね。
明日は我が身の人間が歌っているんだよね。(多分)

それを放り出して、こんなに後悔しているのにかわいそう、とか、お姉さんかわいそう、とか、野太い声が合唱する送る歌を聞いて、「なんか、いいじゃん!」とか思うのはもっての外!
なんだよね。


罪を犯した人間が後悔、更正した話は感動的だが、だが、殺された人間はどうなる?
心のよりどころの人間を奪われた残された人間はどうなる?



死刑撤廃論者が良く言う、冤罪が怖い、は、それこそ、裁判で充分に論議する、というか、「犯した犯罪(殺人。一人でも。)そのものは認めていて、残るは刑罰を決めるだけ」って人間だけに死刑を適用するどうかを論議すればいいんでは?
とか思っちゃうのは、ダメなのかなぁ。
もしくは、絞首刑じゃない処刑方法を検討するとか。



この間の8人殺傷事件、とか、
飲酒運転の常習者で事故時、事故後も反省してない人間とか、
刑務所に入りたかった、から、人を殺した、とか、
誰でもいいから人間を殺してみたかった、だとか、
女子高生を何日も監禁してむちゃくちゃ残酷な事して殺した(コンクリート詰殺人事件だったけか?)少年少女達とか、
気に喰わなかった、金が欲しかったとかの理由で、殴ったり生きているのに火をつけたりとかで、何人をも大勢で寄ってたかって殺した少年少女達とか、
阿呆な妄想で小学生を殺した奴、だとか、
親父狩りだとか、ホームレスは害虫だとかで、暴力ふるったら死んじゃったと言った普通の高校生、だとか。



そういう人間は、後で後悔して社会に貢献できる可能性が仮に見えても死刑でいいよ。
命には命。

という私は鬼女か。


生きていれば、もしかしたらむちゃくちゃ後悔して社会に貢献するように生きるかもしれない、なんてのは、どんな人間でも否定はできない。「可能性」はあるんだよ。
「絶対にない!」
とは断言できない。

でも、そんな事言ってどうなるの?
不満を持ってたり、親から暴力受けたり、親がいなくて寂しい思いをしたり、親がどうしょうもなくて正しい生き方を教えてもらわなかったり、なんて人間が全員殺人犯になってるの?
なってないじゃないか。


一つにはさ
例えば、すごく真っ当な親がいて、その親がどんなに口をすっぱくして注意をしても、真摯に向き合って更正させようとしても、DNAかなんか知らないが、非行に走り、人間を殺した奴が、PTSDもなく、犯行時責任能力がありましたって理由で、重罪(有期刑でも死刑でも)で、

親がろくに面倒見てませんでした、確かに親から真っ当な教育も受けてないのでもう己が為す事柄に善悪の区別がつきません。
もしくは生い立ちのせいで心が弱くなり、他の人だったら我慢できる事が我慢できずに犯行に及びました。
でも、そういった事情で犯行時責任能力がなかったので、もしくは善悪の区別がつかなかったので重罪には処しません。

ってのが、今の様子でしょう?

おかしいんじゃない?

前者も後者も出来上がった感性とか、性質とかもう中々変えられないよ?

であれば、特に後者なんか、短期で社会に出てきたら、又些細な理由で人を恨んだり、自分が楽になろうとして、何かする可能性の方が、前記の更正して社会に貢献できる可能性よりダントツに高いと思うけどなぁ。
病院入っていても、こういうモノ(質)が修正されたかどうかなんて、医者だろうがなんだろうが見極めつくのか?
まぁ、ここら辺が難しいところなんだろうけど。


前に複数の女性を襲ったレイプ犯を特定する証言をした女性が、出所した犯人に逆恨みされて殺された事件があったよね?
あの犯人の刑罰は何を宣告されたのだろう。



どうしても私には、いくら改善の余地がある、後悔の情が見られると言っても、したことはしたことで、年齢がなんであろうと責任能力があろうがなかろうが(※)償わせるのが真っ当な社会だと思うけどなぁ。
無論、犯罪抑止も兼ねて。
(「俺ら未成年者だもん」とかのたまう、小面憎い輩がいるからね)

まぁ、これが日本の風土、歴史、文化から来るメンタリティなのかどうか知らんが。(多分そうなのかも)



最後に、女性司会者が終身刑の話題が出た時に、
「それはそれで税金で養っていいものか、という議論もありますね」
とか言った事が印象に残った。
あぁ、私と同じ事を感じてる、私より声が大きい人がいるんだ、良かったと。





例えば、無理やり酒や薬を飲まされて操られて殺してしまったりとか、オ○ム事件の一例のように、お前が殺さなければお前を殺す、とか脅されたり等の場合は、死刑とか刑罰を与えるというのは議論の余地が有るが。
だからこその裁判だと思う。
だからこそ、弁護士の責任は重いのだよ。
公正な状況を被告の代わりに訴える、と言うのは。
それができてこそ、社会から尊敬されるのだと思う。

本村さんが言った、「裁判の内容が違ったものだったら、死刑は回避できたかも知れない」というのは、こういった事を指しているのだと思う。
だからと言って、死刑という刑をなくせ、とは思ってないけどね、私は。
(想像だが、真摯な弁護内容で被告人が自分の犯した殺人にきっちり向き合った内容だったら、その結果死刑という刑でなかったとしても、本村さんは自分の中の復讐心(敢えて言うけど)と折り合いをつけたと思う。彼は溢れるほどの情を持った公正な人だという印象を受けるから。)


どっかの○カが「なめないでいただきたい」とか言っていたが、それこそ、真っ当に生活している多くの人間をなめないでいただきたい、と言いたい。

多くの(その文化に属している)人間が、「それはおかしいだろう」と思う感性の方を大事にしないと、社会にひずみが出てくる。

既に出てきているだろう?


ラベル:死刑存廃議論
posted by 葉山猫 at 13:28| ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
葉山猫さん、こんにちは

鬼なもんですか、真っ当な感覚だと存じますよ。

今朝のテレ朝の番組は観ていませんでしたが、6日に文化放送(だったかなあ)で、昭和30年に大阪拘置所で執行された死刑の実況録音を流すそうですね。

昭和30年なら、定年近くまで大阪拘置所で刑務官をしていた(私の母方の)祖父は既に亡くなっていましたが、何度か執行に立ち会っていたかも知れませんので、何となく感慨深いものがあります。

テレビやラジオで「そういうの」を流す、ということは、裏に何か意図するものがあるのでしょうかね。あるとしたら「死刑廃止」に誘導するためのもの、としか思えませんね。そんなのを聞いて「うん、やはり死刑制度は存続すべき」と思ったりはしないでしょうから。

私も、大沢弁護士と同意見です(^^ゞ
そして、もちろん、葉山猫さんとも。

最後に、先日は有り難うございましたm(_)m
Posted by poohpapa at 2008年04月29日 17:26
こんばんは!

>鬼なもんですか、真っ当な感覚だと存じますよ。
あははは(笑)ありがとうございます。

>6日に文化放送〜
そうだったのですか。
もしお聞きになるのならpoohpapaさんのご意見もお聞かせいただけると嬉しいです。

お爺様がそういうご経験があったかも知れないのですか・・・
そういう経験を持った方の腹蔵ない考えと言うものも聞いてみたいですね。
死刑存続賛成の私が言うのもなんですが、生と死を常に身近に見てる方は・・・案外死刑反対するかもですね・・・勝手な想像ですが。

>最後に、先日は〜
いえいえ。出過ぎた事をして申し訳ありませんでした。
私はなんとなくあの方に好感を持ったのででしゃばってしまいました^^;

Posted by 葉山猫 at 2008年04月29日 21:44
葉山猫さん、こんにちは

さっき文化放送を聴きました。会社に非常用のトランジスタラジオを持参して、であります。常にシャーという雑音が入っていて、受信状態が良くありませんでしたが、とにかく聴きました。

葉山猫さんもお聴きになったかも知れませんが・・・、

とても淡々とした進行で、とくに番組制作上の意図的なものは感じられなかったのでホッとしています。唯一、坂本さんという元刑務官の話が若干の偏りがあるかな、と思った程度でした。それすらも現場で死刑を執行していた刑務官としては致し方ないかな、と思えます。

中では最高検の元検事、土本さんの話が印象的でしたね。

死刑囚というのは、死刑が確定することで初めて心穏やかになるものかも、ということで、それは実によく解かります。

何人もの人を手にかけても、無期懲役とかの判決だと自分は死と向き合うことはなく、死刑を宣告されて初めて向き合えるようになるようですね。私は、それこそ人が変わったように、だと想像しています。

もしかすると、一旦死刑が確定した者の中には、恩赦等で何年かして娑婆に出たなら再犯しない者もいるかも知れませんね。もちろん死刑囚の恩赦なんて大反対ですし、必ず執行すべきと考えますが。

それにしても、準備完了からガタンと足元が開くまでの時間が呆気なかったですけど、刑に処される者の気持ちを考えたら仕方ないですかね。

刑場で暴れる死刑囚もいるとかで、最期の最期までダメな人間はダメ、という者も入れば、穏やかに刑を受け入れる者もいるようで、人間、「死に際の美学」くらい持ちたいもの、と思いました。凶悪犯に望むのは無理でしょうけど。

いい企画だったと思います。これを聴いたからと言って、私が「死刑制度反対」に変わることは有り得ませんし、私が裁判員になっても状況によっては躊躇なく死刑を求めることも出来ると思います。

取り留めのない感想で誠に相すみません。

何せ雑音が酷かったので、聞き違いとかありましたらゴメンなさい。
Posted by poohpapa at 2008年05月06日 12:26
こんにちは!

>何人もの人を手にかけても、無期懲役とかの判決だと自分は死と向き合うことはなく、死刑を宣告されて初めて向き合えるようになるようですね。私は、それこそ人が変わったように、だと想像しています。

そう思います。


自分の命が他者によって奪われる、という現実が一番自分のした事を考えさせる要因になると思います。
そして
>人間、「死に際の美学」くらい持ちたいもの、と思いました。
ですです!

コメントありがとうございました。

Posted by 葉山猫 at 2008年05月06日 15:28
大変申し訳ありませんが、コメントを一個削除させていただきました。
Posted by 葉山猫 at 2008年05月08日 15:55
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。