2009年04月08日

うーん。マンダム

なんらかのアクションもエコアクションも起こさねばと思うgremz発芽196日目

ある相談事をしに実家へ帰っていた。
5日間ほど居たのだが、その初日の晩の事。


二階に敷いた布団で寝ていると、3時半頃何故かポカッと目が覚めた。
トイレに行きたいわけでもない。
寝ぼけもなくパッチリと目が覚めた。

なんだろう、と思い、もぞもぞっと動こうとした時、


父の整髪料が匂った。


鮮明に。
手で触れるくらい強くはっきりと匂った。

一瞬体が固まる。

香りは違うけど、もしかして私のコロンが体温で暖められて匂ったんだよね?
と思うが、今日はつけてない。
下着も替えてる。
コロンを振る時はいつもつける手首の匂いをかいでも、なんにも匂わない。
布団をパタパタしても何も匂わない。


しばし動きを止めた後、
まぁ、幻臭ってのもあるしね。
と寝なおそうとして、寝返りをうった。


又、

香った。


父がつけていた整髪料の匂い。
再び、強くはっきりと。
鼻先にビンを持ってこられたみたいに。



父が来てくれた。

お父さん、ありがとう。
そして
ごめんなさい。


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ラベル:不思議
posted by 葉山猫 at 17:52| ☔| Comment(7) | TrackBack(0) | 特別付録 昭和2年生まれの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月07日

お正月

大気汚染されてない空気を吸いたいと思うgremz発芽105日目

実家で食べたお節!

osechi.jpg
16000円也 (W64SHで撮影)

(一見)豪華ねぇ〜
ただ皆小ぶりで、と言うより、量が少ない!
ほとんどが3個づつしか入ってない!
田作り?ごまめ?なんか、2cm以下の大きさしかない!
(小魚はさすがに3匹って訳じゃありません(笑))
2人用なのかなぁ。
2人で約3日間で16000円か・・・
うーむ・・・


父が亡くなる前より、いつ頃からか?
実家ではお節の手抜きをし始めた。

って言うと、聞こえが悪いけど、昔の様にすべてを手作りしなくなったって事だ。
まぁ年だものね・・・


昔は年末は大変だったなぁ。
大掃除から始まって、お節の準備、お正月の飾りの準備やらでもう気が重かった。
子供心にお正月を迎えるうきうきさとは別に、「うぇ〜、やだなぁ」という記憶がある(笑
私がイヤだったのだから、母はもっとイヤで大変だっただろう。
お正月に料理をほとんどしないってのは、年末倍以上働け!って事だ(爆)

栗きんとん、田作り、黒豆、数の子、菊なます・・・
伊達巻もなんかで巻いて作ってた記憶があるな・・・
買うのは、かまぼこと・・・ナルト位だったのではなかろうか・・・
常にお鍋が火にかかっていた気がする。

冷たい水の中で数の子の筋?取りを延々とした記憶がある^^
あー
それと、お世話になった方や父母のそれぞれの実家や実家に帰ってくる兄弟姉妹に配る鮭(新巻や切り身、ルイベ、スモークサーモン)やらまぐろやらをそれ用に包むって仕事もあったなぁ。
(父は当時天下の!ニチロだったので。社内販売かどうか知らないけどやたら買い込んで来ていた)


紅白歌合戦は食卓で見た記憶があるけど、年越しそばは除夜の鐘がなる寸前に食べていたような・・・?
紅白歌合戦も昔は21時からだったよね・・・?
レコード大賞が決まってから、歌手たちが大急ぎで紅白の会場へ向かっていたよね?


年が明けたら明けたで、お年賀に伺った記憶もある。
「お年賀に伺う」で言葉使いあってるかな?
もう久しく使ってない言葉なので、わからなくなった(爆)


父母のお仲人さんのうちや、忘れたけど何軒か父母に連れられて行った記憶があるな。
お年玉をもらえるのは嬉しかったけど、今みたいに何万円何千円になるって事はなかったから、ただひたすら大人しく座っていなければならなかったのでそれが苦痛だった記憶がある。

父だけきちんとした格好で出かけて行った記憶もあるが、最近は上司や目上の人のお宅へお年賀に行くって習慣はなくなったのかな?
それとも父がリタイアして(且つ亡くなったし)長い年月が経ったから、私が世間の事にうとくなっただけだろうか?



元旦の朝には、両手をついて父母に明けましておめでとうございますの挨拶をしたり、
初夢何見たの?、とか話したり、
二日には書初めをしたり、
羽子板で羽根をついたり・・・

そういえば、我が家では元旦の最初のガスコンロの火をつけるのは、父の役目だった。
昔で言えば、年の初めのかまどの火を入れるのはその家の主人の役目って事の代わりだったのだろう。
これって、普通の事だったのかな。
それとも我が家だけの伝統だったのかしら・・・?
相方と暮らし始めた時、相方にお願いしたら驚かれた。
悪い気持ちはしなかったらしいが(笑


そんなこんなも今はせず。

母は楽で良いわって言ってるけど。




ちょっとだけ、
ほんのちょっとだけ。


車の音もあまりしない静けさの中

凧を持ったり、コマ回しの独楽と縄を持った子供達の声だけが時折聞こえ

外の、しん、とした雰囲気の中

何故か昨日までとは違うような感じを受ける冷たい空気をもう一度


吸ってみたい気がする
ラベル:お正月
posted by 葉山猫 at 11:23| ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 特別付録 昭和2年生まれの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月08日

真珠湾攻撃

               一昨日の嵐は酸性雨ではなかったのか?と心配するgremz発芽75日目
まず、こちらの記事をお読みになって下さい。

「ザ・スクープ」真珠湾以前に米国が日本爆撃を計画していた
「ぼやきくっくり」さんの記事です。

ねー。
どうよ!

私が以前いろいろな資料で読んだのは、

真珠湾攻撃はアメリカに知られていた。
日本が開戦をたくらんでいる事も暗号を解読されて掌握されていた。

当時、英国とかヨーロッパ勢から、アメリカは参戦を求められていた。
助けてくれ!と。

だけど、テディの愛称で呼ばれていたルーズベルト大統領は公約として「戦争はしない!」と謳って大統領になってる、さらにアメリカ国民の大多数が戦争なんてもうごめん!と言っていたが為に参戦はできなかった。

というか、将来の利権(勝った場合のね。負けるつもりはなかったんだろう)を考えると参戦したかったのだけど、国民からの同意を得られないとルーズベルト大統領が所属している民主党の政権に影響を及ぼす。

で、どうしたもんだべ、と思って悶々としてたら(私の想像)、なんと太平洋のちっちゃな国に住んでる黄色い猿が我が国への宣戦布告を計画している。
なんとハワイを攻撃するらしいってのも分かっちゃった。

こりゃ、ラッキー!
ってなもんで、
宣戦布告をしに面談を求めてきた日本側の大使をのらくくらりと会わずにおいて、真珠湾攻撃の後でやっと宣戦布告(日米交渉打ち切りの最後通牒)を受ける形にした。

これがね、真珠湾「奇襲」攻撃と言われる事になった元になってるのよ!
まぁハワイで攻撃を受けた一般人からしたら、寝耳に水だけだどね。
でも警報は出せたはず。

アメリカ政府がハワイ(当時は自治領)を見殺しにした、というのは、昔と比べてアメリカ国内でもボチボチ言われている事。
でも、今まで日本人までも「日本は卑怯にも奇襲攻撃をし、それに対し怒ったアメリカが報復の為に日本への攻撃を開始した。」
と思ってる人が多いけど、大間違いですぜ。
いや世論をそういう方向へアメリカが持っていったのですが。

アメリカは参戦するきっかけを待っていたのです。
で、911を思い返せば分かるだろうけど、自分に火の粉が降りかかればあちらの国はパワー発揮しますからね。
で、アメリカは、大チャンスを大いに活かしたのです。


とは言っても・・・
私自身が真珠湾攻撃を奇襲と習った覚えがある・・・
まぁ・・・昭和30年代だったからそうなるのかねぇ・・・
随分長くそう思っていたよ。
別にこの事を知りたい訳ではなくて、いろいろな分野の本を手当たり次第に乱読しているうちに、「あれ? そうなの? え? 違うの?」という記述に当たる事が増え、ちょっと興味を持ってチラチラッと調べてみたらこうだった、と・・・

ね。
真珠湾!と言うと広島長崎!
広島長崎!と言うと真珠湾!
って対語みたいに言う人いるけど、「対」なんてとんでもない。
原爆投下の方が、国の思惑(もう日本は負け戦だった、アメリカはもう次の世界情勢を考えて核爆弾の性能を試したかった)にしても後々まで与えるダメージの違いといい、よほど罪が重い。
対として比べられるものじゃない。


おまけに手違いがなかったらアメリカが実行していたのは、
中国から飛び立ち、日本本土に焼夷弾を落とす。攻撃目標は長崎、神戸、大阪、東京(つまり真珠湾攻撃とは違い、民間人への無差別爆撃)。
・この報告を承認するというルーズベルト大統領の直筆サイン「FDR」が入っている。FDRは「Franklin Delano Roosevelt」の略。


ですよ。
これもほんとの手違いではなくて、日本側の暗号を解読していたから、こちらの手を汚さなくても近々日本がやってくれる、と思った誰かがうまく「手違い」を起こしたんじゃないですかね・・・

日本が真珠湾で攻撃したのは軍事施設。
民間人も亡くなられているけど・・・
上のは実行されてたら、それとは比較にならないほど大多数が民間人への被害になる広範囲攻撃。
焼夷弾ですよ!焼夷弾!
って、後に青森と東京に落としやがりましたけどね。

東京大空襲の時、東京にいた母を、たまたま日本に帰ってた祖父が歩いて捜しに言ったと聞きました。
祖父からは話を聞けませんでしたが、母が言うには恐ろしい光景だったと言ってます。

焼夷弾Wikipeddia
焼夷弾は目標を焼き払う為の兵器であるが、M69は子弾が非常に小型であり、尚且つ分離し大量に降り注ぐため、直撃による即死が多くの被災者の証言に見られている。

例えば戦争を題材にしたアニメ・映画では、落下した焼夷弾が家屋や地面に激突し大爆発を起こし燃え上がる描写が多く見られる。だが実際には避難民でごった返す大通りに大量に降り注ぎ子供を背負った母親や、上空を見上げた人間の頭部・首筋・背中に突き刺さり即死、そのまま燃え上がるという凄惨な状況が多数発生していた。



なんにしても戦争はいやだ。
だけど、人間に感情がある限り、自分がもっと良くなりたいという欲や自分の大事な物、人を守ろうとする欲、宗教の信念を守ろうとする欲、そしてやり返したい!という欲がある限り、戦争は絶対無くならない。起こる。

今戦争が起こっても
私なんかの年齢になれば、まして女だったら戦線に送られると言う事はまずないだろう。
男性だったら・・・戦況が逼迫して兵が足りなくなれば徴兵されるかも知れないけど、でも!
一番先に戦線に持ってかれるのは、20代30代、そして10代後半だろう。

たった今、ジーンズをずらして履いて足短を強調しておられる貴方や、つけ爪にバラの花とかくっつけて「彼氏がぁ」とか言っておられる貴女が行くんですぜ?
ズボンずらして履いていたら迅速に動けずに撃たれますな。
つけ爪くっつけてたら、トリガーに指が入らなくて撃つ前に撃たれますな。
がんばってよ!(*´艸)


自分から戦争をしかけないのはいいとして、戦争をふっかけられたらどうするか、ってのを真剣に考えないと。
安保反対って簡単に言うのはいいけど、今アメリカが手を引いても、日本だけの設備、人員だけで日本全土を守れるのだろうか?
どっかの国がなんのつもりか知らんけど、時々日本海に向けてミサイルぶっぱなしているけどさ。

不肖!宮嶋茂樹のWebサイトのこの記事を読むと、対空ミサイルを配備するには

着弾地点を予想し緊急展開するにはすさまじい訓練が欠かせんのである

こういうのって、日本人が理解してないと・・・
今アメリカと結んでいる安保条約も、確か陸地を通って物資を運搬するのは×となってると聞いた。
で、確か空も飛行制限があると聞いた・・・
戦力として頼みにしているアメリカ軍にこんな規制をかけてて、いざ!っていう時に攻撃を受けそう、受けた地域を迅速に守れるのかね・・・
まして安保破棄した後、自衛隊だけで守れるのかね・・・


起こってからでは遅すぎる。
真剣に対処方法を考えている人ほど焦燥感に駆られているのではないだろうか。
田母神さんのように・・・

なんにせよ。
自国の正しい歴史を知りたいと思う。
又知らせるべきだ。



posted by 葉山猫 at 13:20| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別付録 昭和2年生まれの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月25日

荷物だし終了〜

疲れました・・・_| ̄|○

面白話はこの次にしよう・・・


一言だけ。




薙刀があった!!!
それも2本!



ばあちゃんの遺品。
埃まぶしだが・・・
こういう所で言っていいのだろうか・・・
法律違反してないんだろうか・・・?
ラベル:リフォーム
posted by 葉山猫 at 20:59| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 特別付録 昭和2年生まれの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月05日

粗忽者

携帯で相方にメールを書いた(アニメの揺れるハート付き)



実家の母に送ってしまった・・・




「ごちそうさまあわてんぼうさんね」


79歳の母から速攻でメールが返ってきた・・・
はぅ    _| ̄|○
posted by 葉山猫 at 23:02| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別付録 昭和2年生まれの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月06日

はっぴばーすでー

罪ー

又巡って来たか・・・
どうせ増えていく数字なら、いっその事一足飛びに年齢だけ年金貰える年にならないか?


朝方、79歳になる母から携帯のメールが来た。


「おめでとう良い日になりますように」


お母さん・・・(号泣


がんばるよ!
思いの他夏休みが長引いているけどがんばるよ!(更に号泣
年金なんか当てにせず(あたりまえ)人に優しく相方を大事に料理がんばるよ!
(わたしゃぁ幾つだ・・・(-_-;) 支離滅裂だし。)


父と母が結婚するのが遅かったので、両親の年齢は世間一般の私の年齢の親の世代より上である。(ちょっとした牽制?ヽ(´ー`)ノ
母曰く、
海軍軍人だった祖父(母の父)が戦後働けない時期があったので、長女である母ががんばっていた。(から結婚「しな」かった)
らしい。


携帯は大分前に父が癌と分かった時に持たせた。
最初は大変だった。

「こ、これは・・・なんて書いてあるのだ!? クイズかっ!?」
という文面である^^;

漢字変換というシステム、どのキーを押したら変換候補が切り替わるのか、いや、その前にテンキー+αで文字を入れるというシステムを理解してもらう。

なので、本来漢字になるべきでない箇所が漢字になったり(それも突拍子もない漢字)、句読点はないし、どこで単語の区切りになっているのか判らないし、もちろん正しい漢字にもなってない。
解読するのが面白かった大変だった。


絵文字を教えたら、まー父が喜んじゃって絵文字だらけのメールを送ってきたりした。

それに、何かを了解した時の母のメールの返事は

「はーい」

だったりする。
誰も「ー」の使い方(キーの場所)を教えてないのに・・・恐るべし。


今は句読点がないのを別にして、しっかり(大抵は)正しい文面を送ってくる・・・
ちょっと残念である・・・


で、
私はこの母にブログを書かせようとたくらんでいる。( ̄ー ̄)
(この記事のカテゴリーはその為のもの♪)
母が文章書いて、私が打ち込む。
本当は70の手習いで父が買ったPCが実家にあるので、本人に操作をさせたいのだが、んー、無理かな・・・
操作はMacの方が簡単だったのかな。

本人は興味がありそうなのだが・・・
ワンタッチで起動してワープロとメールとI.E.が使えればいいか、と思っているのだけど・・・
でもなぁ・・・ネットの世界は怪しい(危ない)面があるしねー・・・
情報漏洩も怖いし・・・
使いこなして非常識なものを見て血管切れても困るし・・・


誰でもそうかもしれないが、年取ってくると「昔はねー」というのが出てくる^^;
(既に私も・・・)
母の人生記を書かせたいのだが気長にやろう。
人一人が生きて存在していた証。
有名人ばかりでなく市井の埋もれた人々にも当然ある道のり。
孫が一人もいないので、思い出話で伝えていく相手もいない。
電子データでいいので、いっときの間人の目に触れさせたい・・・(傲慢かな・・・)


さ!
10/1から仕事再開した相方が明日は休みを取ってくれたので、今晩は(相方が)早寝(通常21時就寝)をしなくて良い♪
店を予約して鍋料理をご馳走してくれるらしい♪
(いつも行く飲み屋さんだけどね・・・いいんだけどね・・・でも何故自分の好きな「魚」鍋を勧める?(-_-メ))

ま、いいか♪
楽しんでくるぞーー!(大雨だけど・・・



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ラベル:誕生日
posted by 葉山猫 at 15:43| ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 特別付録 昭和2年生まれの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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